「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」がすべてを変えてくれると期待している:DJ ウィズ・キッド インタビュー

Play That Beat Mr. D.J. - G.L.O.B.E. & Whiz Kid (1983)

Play That Beat Mr. D.J. – G.L.O.B.E. & Whiz Kid (1983)
via. Discogs

「『プラネット・ロック』がゴールド(ディスク)になって、それ以来、俺たちについて多くのことが書かれるようになったんだ」

ウィズ・キッドは、ニューヨークで最も有名で最も評価の高いDJのひとりです。

You Should’ve Heard Just What I Seen: Collected Newspaper Articles, 1981-1984

今は亡きDJ界のレジェンド、ウィズ・キッドの貴重なインタビュー。アナーバー・ニュース1983年7月23日号に掲載された特集記事より。ミシガン州アナーバー市のナイトクラブ「ビッグ・ビート」で行われたツアー・ライブ(1983年7月29日)を前に、ウィズ・キッド氏はローカル新聞の取材に応じています。

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聞き手は音楽ライターであり作家のビル・ブラウン氏。ブラウン氏はウィズ・キッド氏のプロフィールに触れ、「グランドマスター・フラッシュに触発されたDJ」であると指摘。さらに「今ニューヨークで最も有名で最も評価の高いDJ」と絶賛しています。

またインタビューでは、当時ヒップホップがまだアンダーグラウンドであったこと。「プラネット・ロック」のヒットによってヒップホップがメディアに注目されるようになったこと。そして同年発売されるファーストシングル「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」について語っています。

記事のアーカイブはインタビュアー、ビル・ブラウン氏の書籍「You Should’ve Heard Just What I Seen」の中で読むことができます。

来週の金曜日、ビッグ・ビート・クラブ(ノース・メインストリート沿いの老舗レストラン、ハイデルベルグの2階)に出演するヒップホップ・スタイルのディスク・ジョッキー、ウィズ・キッドは、ニューヨークで最も有名で最も評価の高いDJのひとりです。

けれども、ビッグ・アップル(ニューヨーク市)の外で彼の名前は、全くと言っていいほど知られていません。ヒップホップと呼ばれる一連の動き(音楽、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ・ライティング)も同様です。しかし、その状況も変わりつつあります。

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「トミーボーイ・レコードに目を向けると…」今週、電話でのインタビューで、ウィズ・キッドはこう言いました。「アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォースの『プラネット・ロック』がリリースされて、ゴールド(ディスク)になって、それ以来、俺たちについて多くのことが書かれるようになったんだ」

「あのレコードと『ルッキング・フォー・ザ・パーフェクト・ビート』のバックトラックをプロデュース、レコーディングしたアーサー・ベイカーとジョン・ロビーの2人は今、本当にホットな存在だ。プロデュースの依頼を断らなければならないほど忙しいんだ」

才能溢れるミュージシャン、ウィズ・キッドは1962年にブロンクスでハロルド・マグワイアとして誕生。16歳でレコードを回し始めました。多くの新進気鋭のDJがそうであるように彼もまた、「スクラッチング」と呼ばれる技術を発明したことで広く知られるブロンクス出身の若きDJ、グランドマスター・フラッシュに触発されたひとりです。

スクラッチとは、その名の通りターンテーブルの針を使い、レコードの表面を実際にひっかくことでリズムパターンを作り出す技法。DJがミキサーのダイヤルを慎重に操作することで独特の「シュッ」という音やクリック音が発生します。

「えーと…」ウィズ・キッドは言います 「俺はずっと、グランドマスター・フラッシュとバトルしたいと思っていたんだ。ほら、DJ vs DJってやつだよ。でも、今はあまり乗り気じゃない。金は少しは彼のものになったと思うが、そういうのは控えているんだ。俺にはやらなきゃならない新しいことがたくさんあるんだ」

ウィズ・キッドは過去3回開催されているニューミュージック・セミナーにて、ベストDJ賞を受賞し「プラネット・ロック」の発売レーベル、トミーボーイのアーティストとして、またレパートリー・スタッフとして活躍。1980年に「ザッツ・ザ・ジョイント」をリリースしたラップグループ、ファンキー・フォー・プラスワンとも活動を共にしています。

ヒップホップそのものは「ローリング・ストーン」や「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」といった権威ある出版物に取り上げられています。また、映画「フラッシュダンス」では、ニューヨークの若者たちがセントラルパークでブレイクダンスをするシーンが登場。しかし、ポップミュージックのメインストリームから見れば、これらのことはあまり意味の無いことです。

「自分のキャリアに関して言えば、俺はまだアンダーグラウンドにいる」とウィズ・キッドは言います。「ニューシングル『プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ』では、俺がすべての楽器を演奏し、ソウル・ソニック・フォースのMCグローブがラップを担当しているのだが、この曲がすべてを変えてくれると期待しているんだ」

Play That Beat Mr. D.J. – G.L.O.B.E. & Whiz Kid (1983)

「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」
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