ローランドがヒップホップに与えた影響 [TR-808]

the Roland Sound in Hip-Hop

via. Roland

Retracing the Roland Sound in Hip-Hop : Roland

ローランドの電子楽器が1980年代のヒップホップに与えた影響。

ローランド社のヒストリーページに掲載された特集記事で、音楽ライター、ジーノ・ソルチネッリ氏によるものです。

ヒップホップの古典「プラネット・ロック」や「イッツ・ユアーズ」の印象的なリズムが、日本の電子楽器メーカー、ローランド社のリズムマシン「TR-808」から生まれたものであり、さらに「チェンジ・ザ・ビート」の必殺フレーズ「フレッシュ」がローランド社製のボコーダーを使用したものである、というお話です。

過去40年間、ローランドのドラムマシンやサンプラー、シーケンサー、シンセは、ラップミュージックとその関連ジャンル(マイアミ・ベース、バウンス、エレクトロ、インストゥルメンタル・ヒップホップなど)のサウンドを形成する上で重要な役割を担ってきました。

同時に、ローランド製品をベースにした初期のヒップホップのレコードの多くは、クラシックなサウンドを作品に取り入れようとするプロデューサーにとって、新たに重要なサンプルソースとなったのです。

「プラネット・ロック」によって「808」再評価

Roland TR-808

ローランド TR-808
via. Roland

1980年、シュガーヒル・ギャングが「ラッパーズ・ディライト」を発表した翌年、ドラムマシン「TR-808」は発売されました。そしてそれがすべての始まりでした。そして「808」は発売当初から、ローランドの他の製品とは一線を画していました。

当時ローランド社のチーフエンジニアであった菊本忠男氏は、試作機にお茶をこぼしてしまい、危うく故障させてしまうところだったといいます。しかし(基盤に)お茶をこぼしたことで、特徴的なクラッシュ・シンバルの心地よい音が完成した、というエピソードが残っています。

Roland TR-808 and Tadao Kikumoto

ローランドTR-808と菊本忠男氏
via. Roland

初期の影響力

商品化までの道のりは紆余曲折あったものの、このドラム・ボックスはすぐに軌道に乗りました。東京を拠点とするエレクトロニック・バンド、イエロー・マジック・オーケストラが1981年にアルバム「BGM」を発表。その収録曲「千のナイフ」で808をフィーチャー。さらに翌年にはマーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」で採用され、その存在をアピールしています。

YMO – 1000 Knives (BGM, 1981)

「千のナイフ」
YMO – 1000 Knives (BGM, 1981)
via. Discogs

Marvin Gaye - Sexual Healing (1982)

「セクシャル・ヒーリング」
Marvin Gaye – Sexual Healing (1982)
via. Discogs

しかし、有望なスタートを切ったにもかかわらず、1983年、TR-808は生産中止となります。

当時のローランド社としては、TR-808がリズムマシンのブランド「TR」シリーズの一機種にすぎなかった、ということ。部品として使用しているトランジスタが規格外品であり、その供給が終了したことで、TR-808の販売完了へとつながった、ということです。

参照:The TR-808 Story – Roland

ローランド社が未来の名機の「プラグを抜く」と決断したにもかかわらず、アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォースは、808を再び最前線に押し上げることに貢献しました。彼らは「プラネット・ロック」をリリースしてこれを実現しました。

Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force ‎– Planet Rock (1982)

「プラネット・ロック」
Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force ‎– Planet Rock (1982)
via. Discogs

関連記事:Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)

当初、プラネット・ロックのプロデューサー、アーサー・ベイカーは808すら持っていませんでした。それでも彼はスタジオ・ミュージシャン(プログラマー)を雇い、クラフトワークの「ナンバーズ」やキャプテン・スカイの「スーパー・スポーム」のパーカッションをマシンで再演させたのです。

このトラックはエレクトロというジャンルを生み出しただけでなく、様々なスタイルのプロデューサーたちに影響を与え、さらにサンプリングの定番にもなっていきます。1990年代半ばにヒットしたマイアミ・ベースのヒット曲、ディスンダットの「パーティ」は、このドラム・ビートを再利用したものです。その他にも400人近いプロデューサーたちが、長年に渡りこのトラックを借用し続けています。

Dis 'N' Dat – Party (1994)

「パーティ」
Dis ‘N’ Dat – Party (1994)
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「808」生産終了後、東海岸と西海岸でブームに

Roland SH-101 Monophonic Analog Synthesizer

キーター(ショルダー・キーボード)としても使用できた小型シンセ、ローランド「SH-101」
Roland SH-101 Monophonic Analog Synthesizer
via. reverb

バイ・コースタル(東海岸と西海岸の両岸)で大流行

ローランドによるヒップホップ・ビートが東海岸で盛り上がる一方、西海岸でもこのサウンドは定着しつつありました。DJでプロデューサーのエジプシャン・ラヴァーは、アンクル・ジャムズ・アーミーに参加した後、カリフォルニアに808の存在を知らしめています。

エジプシャン・ラヴァーとジャムズ・アーミーのメンバー、ミスター・プリンズは、1983年彼らのクルーのシングル「ダイアル・ア・フリーク」をプロデュース。そしてキーボードやローランドのキーター「SH-101」、ボコーダー、「808」のみを使用して楽曲を制作。ロサンゼルスの人々に「フリーキーなエレクトロ・サウンド」を紹介しました。エリカ・バドゥは32年後、このスタイルを自身の曲「ダイアル・ア・フリーク」に取り入れました。

Uncle Jamms Army – Dial-A-Freak (1983)

「ダイアル・ア・フリーク」
Uncle Jamms Army – Dial-A-Freak (1983)
via. Discogs

Erykah Badu - Dial’Afreaq (2015)

「ダイアル・ア・フリーク」
Erykah Badu – Dial’Afreaq (2015)
via. Discogs

カーティス・マントロニクは、サンプリングしたパーカッションと「808」のプログラミングをブレンド。1985年に発表した(彼のユニット)マントロニクスのエレクトロ・クラシック「フレッシュ・イズ・ザ・ワード」ではこのサウンドを採用しています。この曲でマントロニックは、ドラムパターンのテンポを下げており、同時に音の強さと響きが増しています。

また、このグループの曲には、TR-808や909をフィーチャーしたものが多く、さらに新しいリスナーを獲得し続けています。マントロニクスの曲はベックを始め、デ・ラ・ソウル、J・ディラ、ジェイペグマフィアなどのアーティストによって、500回以上サンプリングされています。

Mantronix With M.C. Tee – Fresh Is The Word (1985)

「フレッシュ・イズ・ザ・ワード」
Mantronix With M.C. Tee – Fresh Is The Word (1985)
via. Discogs

「イッツ・ユアーズ」と「808」、「フレッシュ」とボコーダー「SVC-350」

Roland SVC-350 Vocoder

ローランド・ボコーダー「SVC-350」
Roland SVC-350 Vocoder
via. reverb

全てのものが「フレッシュ」

「フレッシュ・イズ・ザ・ワード」リリースの直前、デフ・ジャム・レコードの共同設立者であるリック・ルービンは、ティー・ラ・ロックとジャジー・ジェイの1984年のシングル「イッツ・ユアーズ」で、「808」によるミニマリズム(最小限の音の反復)を採用しました。そしてこの曲はラップ・ミュージックに大きな影響を与えました。

ドラム・サウンドとティー・ラ・ロックのパワフルな歌声による、類のないブレンドのこのトラックは、何度もサンプルされる人気曲に。それは、時代や地域、スタイルが変わっても同じでした。

T La Rock and Jazzy Jay - It’s Yours (1984)

「イッツ・ユアーズ」
T La Rock and Jazzy Jay – It’s Yours (1984)
via. Discogs

ナズの名曲「ザ・ワールド・イズ・ユアーズ」と夢中にさせる語り口の「リワインド」、アウトキャストの重苦しい「ジャジー・ベル」、プレイボーイ・カルティとチーフキーフのコラボレーション「マイレージ」などは、「イッツ・ユアーズ」を借用した300曲以上のうちの一部です。

Nas - The World Is Yours (1994)

「ザ・ワールド・イズ・ユアーズ」
Nas – The World Is Yours (1994)
via. Discogs

Nas - Rewind (Stillmatic 2001)

「リワインド」
Nas – Rewind (Stillmatic 2001)
via. Discogs

Outkast - Jazzy Belle (ATLiens 1996)

「ジャジー・ベル」
Outkast – Jazzy Belle (ATLiens 1996)
via. Discogs

Playboi Carti feat. Chief Keef - Mileage (Die Lit 2018)

「マイレージ」
Playboi Carti feat. Chief Keef – Mileage (Die Lit 2018)
via. Grailed

また、ビル・ラズウェルは1982年の「チェンジ・ザ・ビート」でボコーダー「SVC-350」を効果的に使用しています。伝説となった「ああ、これはすごくフレッシュ!」というフックは、このローランド製ボコーダーの独特な音色によるもので、DJのスクラッチで最もよく使われる音となりました。

Beside / Fab 5 Freddy – Change The Beat (1982)

「チェンジ・ザ・ビート」
Beside / Fab 5 Freddy – Change The Beat (1982)
via. Discogs

関連記事:「フレッシュ」は偶然の産物だった?:マイケル・バインホーン インタビュー [チェンジ・ザ・ビート]

ローランド製のヒップホップ・サウンドは1980年代を通じて、ニューヨークやロサンゼルス以外の音楽の「美の定義」にも影響を与えていきます。

特に南部ではその傾向が強く、ダブル・デュースの1985年のシングル「カミン・イン・フレッシュ」では、ドラッグを乱用した集中力のないミキシング・セッションが続くなか、サニービュー・レコードのエンジニアであり、ミュージシャンであり、プロデューサーでもあるエイモス・ラーキンス二世は、この曲の最終レコーディングを大急ぎで進めていました。

Double Duce’s - Commin’ In Fresh (1985)

「ダブル・デュース」
Double Duce’s – Commin’ In Fresh (1985)
via. Discogs

彼は適切なレベルチェックをせずに作業を終えた結果、完成したレコードからは、まるで「地獄からの低音」のような「808」のハム・ノイズを発し、友人のレコード店のスピーカーを破壊。

同時に、これが通行人の注目を集めることとなり、このことがきっかけでマイアミベースというムーブメントに火がついたという逸話が残っています。

関連記事:サウンドシステムはヒップホップにどのような影響を与えたのか

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