
The Mexican – Babe Ruth (First Base 1972)
via. Discogs
「ザ・メキシカン」は、イギリスのロックバンド「ベーブルース」のデビューアルバム「ファースト・ベース」の収録曲です。
ソング・ライティングはバンドのメンバーでありギタリスト、アラン・シャックロックによるもの。1972年の夏、アビーロード・スタジオで録音され同年11月にリリースしています。
演奏メンバーは
- アラン・シャックロック – リード・ギター
- ジェニー・ハーン – リード・ボーカル、 カスタネット
- デイヴ・ヒューイット – ベース・ギター
- デイヴ・パンション – エレクトリック・ピアノ
- ディック・パウエル – ドラムス
永遠にシンプルなビートを刻むドラムと、ブラックミュージックを意識したベースライン。歌詞の世界観は西部劇をモチーフに、曲の後半には映画「夕陽のガンマン」のメロディーが登場。スパニッシュ由来のアラン・シャックロックのギターが独特な緊張感と哀愁を生んでいます。
フィメール・ヴォーカリストのジェニー・ハーンは、イングランド、エッジウェア出身で思春期をサンフランシスコ郊外で過ごしたといい、その存在感のある歌声はジェファーソン・エアプレインのグレース・スリックやジャニス・ジョプリンを連想させます。

ジェニー・ハーン(1975年)
via. The Babe Ruth Band
アルバムは地元イギリスではチャートインすることはありませんでした。しかし北米の一部の地域やカナダで局地的なヒットを記録。特に収録曲「ザ・メキシカン」は「ロフト」などの初期のアンダーグランド・ディスコで再評価され、さらにDJクール・ハークが好んでプレイしたことでブレイクビーツの古典として、ヒップホップ・カルチャーに最も影響を与えた曲の1つとなっていきます。
西部劇から着想を得た「ザ・メキシカン」

ジョン・ウェイン主演、映画「アラモ」(1960年)のポスター
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「古い西部劇の大ファンだったので(今もそうだが)、歌詞や音楽的な影響の多くはそのベースからきている。エルマー・バーンスタインやエンニオ・モリコーネなど。
さらにスペインや南米の音楽が好きなので、クラシックのバックグラウンドを持つ俺は、これらすべてを鍋に入れ、何が出てくるか試してみたんだ。」
「ザ・メキシカン」の作曲者であるアラン・シャックロックは音楽メディア「Blues.Gr」のインタビューで、西部劇から着想を得たと語っています。
ロンドンの名門、王立音楽アカデミーで、スパニッシュギターを学んだアラン・シャックロック率いるロックバンド「ベーブルース」。そのデビューアルバム「ファースト・ベース」に収録されている楽曲が「ザ・メキシカン」です。

「ファースト・ベース」:ベーブ・ルース(1972年)
via. Discogs
さらにその歌詞の世界観は、ジョン・ウェインの映画「アラモ」に由来すると、米音楽専門誌「ワックス・ポエティックス」(2008年30号)では指摘しています。
Bass Is Loaded: Babe Ruth’s Hip-Hop Homerun Wax Poetics Issue 30 (2008)
「ザ・メキシカン」の歌詞は映画「アラモ」への反論として書いたものだとシャックロックは説明しています。1960年に公開されたジョン・ウェインの映画「アラモ」は、(歴史的に)不正確な点が多く偏った映画であると。
(映画では勝利するが)その後2か月も経たないうちに、サンジャシントの戦いで敗れることになるメキシコ軍が人間味のない描写であったことへの反論として、「ザ・メキシカン」の歌詞は生まれたと彼は説明しています。
「アラモ」は1960年に公開された西部劇映画。アメリカ・テキサス州がメキシコ領であった1836年を舞台にしています。メキシコ政府に反発し独立を目指したアメリカ系移住者との戦争「アラモの戦い」をもとに、ジョン・ウェインが制作、監督を手がけ自ら出演。映画では惨敗した反乱軍を悲劇の英雄として、圧倒勝利したメキシコ軍を非情な敵軍として描いています。

映画「アラモ」に登場するメキシコ軍
via. United Artists
「ザ・メキシカン」の作曲者であるアラン・シャックロックは、歴史的に実在しないメキシコ人兵士「チコ・フェルナンデス」を歌詞に登場させ、メキシコ軍側からの視点で「アラモの戦い」を描いています。
「(メキシコ)サンタ・アンナ軍の向こう側の様子を反映させたかった。(歌詞に登場する)チコ・フェルナンデスは俺が作り上げた架空の人物。メキシコの軍隊の中に1人はいるはずだと思ったんだ」
ブラックミュージックからの影響

デビューアルバム「ファースト・ベース」のレコード裏ジャケット。(上段左から)ジェニー・ハーン(Vo)、ディック・パウエル(Dr)、(下段左から)デイヴ・パンション(Key)、デイヴ・ヒューイット(Ba)、アラン・シャックロック(Gt)
via. The Babe Ruth Band
Bass Is Loaded: Babe Ruth’s Hip-Hop Homerun Wax Poetics Issue 30 (2008)
「ザ・メキシカン」は、すべてのBボーイのアンセムの中で、最も意外な存在かもしれません。
1972年、イギリスのプログレッシブ・ロックバンド、ベーブ・ルースによって録音された「ザ・メキシカン」は、フランプトン・カムズ・アライブ*の西海岸公演のオープニングを飾ったことで有名になった曲でもあります。
* 「フランプトン・カムズ・アライブ」は、バンドが前座として参加した1975年のピーター・フランプトンの全米ツアー。
しかし、たとえば(同じくBボーイのンセムである)ジミー・キャスター・バンチの「イッツ・ジャスト・ビガン」ほど、ニューヨークのアフロ・ラテン文化との固有のつながりがあるようには確かに思えないのです。

「イッツ・ジャスト・ビガン」:ジミー・キャスター・バンチ(1972年)
via. Discogs
しかし、ベーブ・ルースの創立者で「ザ・メキシカン」のソングライターであるアラン・シャックロックに話を聞いてみると、ヒップホップ文化の初期の発展において、彼が偶然に果たした役割は、奇妙なほどふさわしいものだったことがわかります。

アラン・シャックロック(1975年)
via. The Babe Ruth Band
インタビューの中でシャックロックは、若きギタリストの頃の最大のインスピレーションとして、(ラップの原型ともいえる曲で、ウータンの「プロテクト・ヤ・ネック」やダイヤモンドDの「チェック・ワン、ツー」の元にもなっている)アルバート・キングの「コールド・フィート」を挙げています。

「コールド・フィート」:アルバート・キング(1967年)
via. Discogs
「ザ・メキシカン」は(最終的に5枚のアルバムをリリースすることになる)バンドが初めて録音した曲で、レコード契約のためのオリジナルデモとして使用されたの唯一のトラックでした。
ファンキーなベースライン、ドライブ感のあるドラムビート、そしてエンニオ・モリコーネ作曲の「夕陽のガンマン」のテーマがクライマックスに挿入されたこの曲は、アフリカン・アメリカンの音楽と西部開拓時代のガンファイトに夢中になって育ったシャックロックにとって、人生の集大成でもありました。

「夕陽のガンマン」オリジナル・サウンドトラック
:エンニオ・モリコーネ・オーケストラ(1966年)
via. Discogs
「ブルースやジェームス・ブラウン、デレク・マーティンのような南部のソウル・ミュージックに魅了されていた」と当時を振り返るシャックロックは、現在テネシー州ナッシュビルに住み、レコード・プロデューサーとしてとして活躍しています。
「俺たちは、レコードで演奏しているプレイヤーたちを研究し、彼らの真似をしようとしたんだ。マニアックだったよ。ウィリー・ミッチェルの『ザット・ドライビング・ビート』が収録された45回転盤(シングルレコード)を手に入れたのを覚えている。とにかく素晴らしかった。今でも聴いているし、ウィルソン・ピケットの『ザ・ミッドナイト・アワー』も愛聴盤だ。俺にとっては比類ないものなんだ」

「ザット・ドライビング・ビート」:ウィリー・ミッチェル(1965年)
via. Discogs

「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」:ウィルソン・ピケット(1965年)
via. Discogs
「モータウンに夢中になり、アレンジャーであるデヴィッド・ヴァン・デピットやポール・ライザーがやっていることに魅了されたんだ。だから自分たちも非常にシンプルに、一定のグルーヴに基づいたものにしたかった」とシャックロックは語ります。
「ザ・メキシカン」は、民主的に構築されたものではなく、メンバーに指示をした、と彼は言います。「ドラマーには『フィル(フレーズ)を一切入れないで、ソウルの時代のようにグルーヴを一定に保つんだ。そこにヤバいやつを重ねていくから』と指示した。ベーシストはブルース出身だからわかってくれたが、フィルを叩くのが大好きなドラマーに『叩くな』と言うのは難しかったよ」
ベーシストはデイヴ・ヒューイット。初期ドラマーとしてディック・パウエルが在籍。ファースト・アルバムのリリース後、ドラムのパウエルは脱退し、後任にエド・スペヴォックが加入しています。
イギリス人と西部劇についての補足

「夕陽のガンマン」オリジナル・サウンドトラック
– エンニオ・モリコーネ(1967年)
via. Discogs
Bass Is Loaded: Babe Ruth’s Hip-Hop Homerun Wax Poetics Issue 30 (2008)
「マカロニ・ウエスタンやクリント・イーストウッドが出ている西部劇の重厚なオーケストラ・アレンジが大好きで、モリコーネのオーケストレーションは本当に天才だと思った。そこで、シンプルなドラムビートに『夕陽のガンマン』を載せるという、ヤバいアイデアを思いついたんだ」
「古い西部劇の大ファンだった」というロンドン生まれのアラン・シャックロックについての補足として、ロックの歴史書「Encyclopedia of Classic Rock」には、「イギリスの小説に登場するウエスタン」についての記述があります。
アメリカ西部への憧れは、イギリスの文化に深く根付いています。たとえば、ブラム・ストーカーの(ホラー小説)「吸血鬼ドラキュラ」に登場するテキサス生まれの紳士、クインシー・モリス。そしてキャロル・リード監督の映画「第三の男」の登場人物で、大衆小説(作家である主人公が書いた西部劇)を愛読するイギリス人、ペイン軍曹がその代表例です。
デビューアルバム「ファースト・ベース」、北米でヒット

デビュー当時のベーブ・ルース(1972年)
via. The Babe Ruth Band
Bass Is Loaded: Babe Ruth’s Hip-Hop Homerun Wax Poetics Issue 30 (2008)
バンドは1972年初頭、ビートルズのエンジニア、トニー・クラークとともにアビーロード・スタジオでアルバム「ファースト・ベース」を制作。
「ザ・メキシカン」の他にカバー曲、フランク・ザッパの「キングコング」とジェシー・ウィンチェスターの「ブラックドッグ」を収録。オリジナル曲は「ジョーカー」と「ランナウェイズ」、そして(もう一曲)西部劇をテーマにした「ウェルス・ファーゴ」を収録しています。
デビューアルバム「ファースト・ベース」のイギリスでの売れ行きはそこそこでしたが、北米の特定のマーケット、特に(カナダの)ケベック州やアメリカ中西部では、瞬く間にスーパースターになりました。
「最初の売上高を見たとき、すぐにその界隈のプロモーターと連絡を取った」シャックロックは回想します。「ミルウォーキーでのライブは、ZZトップがオープニングを飾ってくれたんだ。あれは信じられない光景だったね」
当時の記事(ビルボード誌 1973年11月24日号)にはカナダでのヒットについて

via. Billboard (1973/11/24)
アルバム「ファースト・ベース」が輸入盤としてヒットし、キャピトル・カナダから本格リリースされたハーベスト(レーベル)のバンド、ベーブ・ルースがカナダにやって来ます。
11月20日から22日にかけて、バンドはモントリオール、ケベック・シティに加え、(レコード店)トレブル・クレフ・ストアの働きかけによってブレイク果たしたオタワでも公演を行います。
さらにビルボード誌 1973年12月8日号の記事ではカナダでのツアーの成功を報じています。

via. Billboard (1973/12/8)
イギリスのプログレッシブ・ロックバンド、ベーブ・ルースは20日、ケベック・シティでバンド初のカナダ公演を行い、ファンたちは大いに熱狂しました。(さらに、ケベック州初登場となる共演バンドは、カナダを代表するヘビー・メタルバンド、ア・フット・イン・コールドウォーターでした。)
バンドは(カナダ・モントリオールのFMラジオ局)CHOMのDJ、ダグ・プリングルと1時間のインタビューを行った後、ジェシ・ウィンチェスターが3枚目のアルバムを録音しているスタジオ・シックスに参加。デビューアルバム「ファースト・ベース」でジェシの曲「ブラック・ドッグ」をカバーした恩返しとして、彼らはバックボーカルを担当しました。
昨年の春に発売された「ファースト・ベース」は、現在、モントリオールでの売上ランキング2位を記録しています。
「ザ・メキシカン」がヒップホップの国歌になった経緯

デヴィッド・マンキューソ(1974年)
via. Allan Tannenbaum/Getty Images
Last Night a DJ Saved My Life: The History of the Disc Jockey
ヒップホップ愛好家の間では、Bボーイ賛歌の決定版とされているベーブ・ルースの「ザ・メキシカン」。この曲は「ロフト」経由で注目を集めたレコードのひとつです。
「ロフト」で評判になるとニューヨーク中のDJがこのレコードを探し求めるようになり、ブロンクスという閉ざされた世界にもその噂は伝わっていきました。そしてヒップホップDJ達によって「ザ・メキシカン」は(Bボーイの)アンセムになっていきます。
1970年代よりニューヨークのダンス・パーティーのなかで最も影響力があり、その後のアンダーグラウンド・クラブの原型ともなったプライベート・パーティー「ザ・ロフト」。
その主催者であったデヴィッド・マンキューソは、パーティのセットリストに、ベーブ・ルースの「ザ・メキシカン」をチョイス。マンキューソ氏がダンス・ミューミュージックとして解釈したことでクラブ・クラシックとして再評価されていきます。
米音楽専門誌「ワックス・ポエティックス」(2008年30号)の特集記事では、そのきっかけがマンキューソ氏の仲間であり、彼が運営するレコード・プールの共同運営者でもあるDJ、スティーブ・ダキストがカナダで「見つけた」との指摘があります。
Bass Is Loaded: Babe Ruth’s Hip-Hop Homerun Wax Poetics Issue 30 (2008)
「ザ・メキシカン」が(カナダの)モントリオールでブレイクしていた当時、偶然にもDJのスティーブ・ダキストがモントリオールにいました。スティーブ氏はニューヨークのクラブでオーナーと揉めていました。
「(モントリオールでは)ロブ・ウィメットの「ラブ」という店で働いた。俺はロブの代役だった。ロブはベーブ・ルースの『ザ・メキシカン』を俺にくれたんだ。」
「ザ・メキシカン」が本来持つダンス性に気づいた彼はレコードを持ち帰り、(彼の仲間であるDJ)デヴィッド・マンキューソにシェア。マンキューソはニューヨークで主宰する伝説のアンダーグラウンド・パーティ「ロフト」で、この曲をプレイするようになりました。

1973年の大晦日、マンハッタンの「ロフト」で踊る人々。
via. Allan Tannenbaum/Getty Images
その後2年の間に、この曲はDJクール・ハークの目に留まります。ハークは「ザ・メキシカン」のインストゥルメンタル・ブレイクをブロンクスでのDJセットの定番としてプレイ。
ドゥンドゥン、ドゥンドゥンと鳴り響くベースラインとラテン風味のこの曲は、初期のアップロッカーたちのお気に入りとなり、やがてBボーイの定番曲となっていきました。
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「最初に有名になったのはモーターサイクル・ギャングの界隈で、ヤツらのグループの中にもアップロッカーがいたんだ。」こう語るのはロック・ステディ・クルー代表の「クレイジー・レッグス」こと、リチャード・コロン氏です。

リチャード’クレイジー・レッグス’コロン(1982年)
via. Janette Beckman/Getty Images
さらにBボーイの時代が到来すると、「あのスパニッシュ・ギターが聴こえてきたら、皆スニーカーの紐を締め直し、(ダンスが)ヤバいスタイルに展開してく前の、小さなツーステップを踏み始めるんだ。『ザ・メキシカン』は、ガチなバトルが始まる合図だった。」