
Grandmaster Flash & The Furious Five – The Message (1982)
via. Discogs
この7分間のシングルは、ブラック・ラップ・ミュージックを神格化するものであり、ボブ・ディランが「ハッティ・キャロルの寂しい死」を歌って以来の、アメリカ下層階級からの、最も詳細で壊滅的なレポートです。
ローリング・ストーン誌、1982年9月16日号に掲載された、カート・ローダーによる「ザ・メッセージ」のレビューより。
グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイブ初のヒット曲であり、のちのヒップホップ界に大きな影響を与えることになる不朽の名作「ザ・メッセージ」。
1982年7月1日にシュガーヒル・レコードからリリースされた12インチシングルが初登場、演奏時間は7分11秒。
追い詰めないでくれないか/ぎりぎりのところにいるんだから/正気を失わないようにしているのさ
Don’t push me cause I’m close to the edge, I’m trying not to lose my head
作詞作曲は、シュガーヒルのアレンジャー、ジグス・チェイスと、パーカッショニスト、エド・フレッチャーが中心となっておこなわれ、都市の貧困を生々しく描いた歌詞はフレッチャーによるもの。自身もラッパーとして(デューク・ブーティ名義で)参加しています。
「ヒップホップ初のプロテストソングをフューリアス・ファイブ名義でリリースする」というコンセプトで生まれた曲ですが、ソングライティングにDJフラッシュは参加しておらず、グループからもメリー・メルのみがラッパーとして参加しています。
チャートの順位は、ビルボード・ホット100で最高62位、R&Bチャートでは4位にランクイン。
ヴィレッジ・ヴォイス誌のシングルランキング「Pazz & Jop」では、マーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」をおさえ、堂々のトップ1シングルに輝いています。
インナーシティの真実を語ったヒップホップ不朽の名作

Crimmins Avenue in the Bronx. (1977)
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「『ザ・メッセージ』には完全にノックアウトされた」と、チャック・Dは語ります。「最も影響力のあるMCが『意味のあること』を主張した初めてのラップグループだった」
The 50 Greatest Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone
「ザ・メッセージ」は、ヒップホップのリズムに載せて、初めてアメリカのインナーシティ(都心部のスラム街)の真実を語った曲。
その後の名作(ジェイ・Z、リル・ウェイン、N.W.A、ノトーリアス・B.I.G.、さらにはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンまで)の中からも、その影響をはっきりと聞くことができます。
「追い詰めないでくれないか/ぎりぎりのところにいるんだから/正気を失わないようにしているのさ」その一語一語が銃声のように響きます。
米音楽メディア「Rolling Stone」は「歴史上最も偉大なヒップホップ・ソング」と題し50曲を選出。そのなかでも、初めて商業的な成功を収めた社会派ヒップホップの先駆けとして、また、その後のラップ・ミュージックに大きな影響を与えた金字塔として「ザ・メッセージ」は、堂々の1位を獲得しています。
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作詞/作曲/歌:エド・フレッチャー(デューク・ブーティ)

E.Fletcher (Duke Bootee) : Producer/Songwriter/Rapper
via. Discogs
「デューク・ブーティ」ことエド・フレッチャーは、フューリアス・ファイブのオリジナル・メンバーではありません。
彼はシュガーヒル・ハウス・バンドのソングライターでありパーカッション奏者、時にはラッパーとして活躍しました。
ヒップホップの歴史書「Bring That Beat Back: How Sampling Built Hip-Hop」より。
長年のジャズライブで培った「冒険心のある耳」を持っていたデューク・ブーティを、(社長の)ロビンソンは「ヒット作を生み出す可能性を秘めた、頼りになる男」と期待していました。
ある夜デュークは、共同プロデューサーのジグス・チェイスと一緒に、ジョイント(マリファナ)を吸っていました。
ソファーの上で寝転んで議論を交わすデュークは、自分の足が椅子の端からぶら下がっていることに気づき、その様子を歌のフックに採用しました。
「押すなよ(追い詰めないでくれ)/ぎりぎりのところにいるんだから/正気を失わないようにしているのさ」
さらに残りの歌詞は、デュークが鮮明に記憶していた風景をもとにしています。
彼が住んでいたニュージャージー州エリザベスは、サウス・ブロンクスよりは環境が良い場所でしたが、決してトラブルと無縁ではありません。
自宅の窓から見えた、通り向こう側の公園で起きた日々の出来事を、印象的なリフレインとして書き上げました。
「まさにジャングル(無法地帯)だ、くたばらないようにしていることが、時々不思議に思う」
* It’s like a jungle sometimes / It makes me wonder how I keep from going under
明確にしておくと、「ザ・メッセージ」は社会的・政治的なヒップホップ・ソングとしては、最初の曲ではありません。
ブラザーDというMCがリリースしたシングルのB面「How We Gonna Make the Black Nation Rise?」では、1980年という早い時期に、人種差別、公害、経済格差に関する事実を扱っています。
また、「ザ・メッセージ」にメリー・メルが付け加えた最後の5節目
「子どもは心の状態を持たずに生まれてくる/人間としての生き方など知らない」
* A child is born with no state of mind / Blind to the ways of mankind
この歌詞は、シュガー・ヒル契約以前の1979年にグループが発表したシングル「Superrappin’」からの再利用です。

Grandmaster Flash And The Furious Five – Superappin’ (1979)
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とはいっても、グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイブのようなレジェンドグループの全盛期に、こういったレベルのプロテスト・ソングが生まれたということに大きな意味があるのです。
メンバーのほとんどは、自分の名前がクレジットされることを嫌がっていました。
フラッシュたちは、自分たちのパーティー・アンセムとして、こんな暗いサウンドの曲をレパートリーに加えるべきか、非常に慎重になっていました。
そこでロビンソンは、グループが消極的だったことを逆に利用し、曲のメインMCをソングライターであるデュークと、メルの2人だけに絞り込みました。
「ザ・メッセージ」は、グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイブ名義で発表されましたが、実際には「フューリアス・ワン + 1」によるものでした。
フューリアス・ファイブからは、メリー・メルのみが参加

Grand Master Flash & The Furious Five – The Message (1982)
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それは、ヒップホップのパイオニアが大ヒットを記録した瞬間でした。
1970年代にサウス・ブロンクスで開かれていたパーティー界隈では、圧倒的な人気を誇ったザ・フューリアス・ファイブ。メンバーにはクイック・ミックスを発明したDJ、グランドマスター・フラッシュがいました。
音楽評論の名著「1001 Songs: You Must Hear Before You Die : Robert Dimery」より。
「ザ・メッセージ」は1982年にリリースされた、グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイブ名義のシングル曲。
レコードのラベルにグループの表記がありますが、しかし正確にはグランドマスター・フラッシュも、フューリアス・ファイブもこの曲には登場はしません。
「ザ・メッセージ」の誕生は、セッション・ミュージシャン、デューク・ブーティのアイデアがきっかけで、プロデューサーはシュガーヒル・レーベルのボス、シルヴィア・ロビンソン。シュガーヒルのスターであったフラッシュとフューリアス・ファイブに「政治色の強いヒップホップ・トラックを」というコンセプトで企画された曲です。
しかし、(フューリアス・ファイブからの)レコードへの参加メンバーは、メリー・メルただひとりのみ。デビューシングル「スーパー・ラッピン」でのメルの歌詞が一部採用されています。
のちにアメリカ議会図書館の録音資料として、ナショナル・レコーディング・レジストリーに初めて登録されたヒップホップ・ソング「ザ・メッセージ」。
パブリック・エネミーのチャック・Dが指摘するように、「その後に登場した、すべてのラップグループにプラットフォームを提供した」曲であり、メリー・メルの不敵な笑い声「ハハハハハ」は、ジェネシスのヒット曲「ママ」にまで影響を与えています。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフロントマン、アンソニー・キーディスは回想します。
「1982年、『ザ・メッセージ』が最も熱い曲となったあの夏。音楽の世界で活躍する条件として、アル・グリーンである必要も、フレディ・マーキュリーのような素晴らしい声を持つ必要もない、と『ザ・メッセージ』は気づかせてくれたんだ」
しかし、最大のヒット曲が原因でグループは分解、致命的な亀裂につながりました。フラッシュは印税や名義の使用料をめぐり、シュガーヒルに対し訴訟を起こしています。
けれども「ザ・メッセージ」は今も生き続けています。
2006年に公開された子供向け映画「ハッピーフィート」では、(シーモアの歌唱シーンで)「ザ・メッセージ」が登場しています。
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