「ザ・メッセージ」初めてインナーシティの真実を語ったヒップホップ不朽の名作

Grandmaster Flash & The Furious Five / The Message (1982)

Grandmaster Flash & The Furious Five – The Message (1982)
via. Discogs

「完全にノックアウトされた」と、チャック・Dは語ります。「最も影響力のあるMCが『意味のあること』を主張した初めてのラップグループだった」

「ザ・メッセージ」は、ヒップホップのリズムに載せて、初めてアメリカのインナーシティの真実を語った曲。

「追い詰めないでくれないか/ぎりぎりのところにいるんだから/正気を失わないようにしているのさ」その一語一語が銃声のように響きます。

The 50 Greatest Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone

米音楽メディア「Rolling Stone」は「歴史上最も偉大なヒップホップ・ソング」と題し全50曲を選出。

1979年の「ラッパーズ・ディライト」から、2004年のシングル、カニエ・ウエスト「ジーザス・ウォークス」まで歴代の重要曲が揃う中、初めて商業的な成功を収めた社会派ヒップホップの先駆けとして、また、その後のラップ・ミュージックに大きな影響を与えた金字塔として、グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイブの「ザ・メッセージ」が堂々の1位を獲得しています。

[1] Grandmaster Flash and the Furious Five 'The Message' (1982)

[1] Grandmaster Flash and the Furious Five ‘The Message’ (1982)
via. Rolling Stone

グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイブ「ザ・メッセージ」(1982年)

「『ザ・メッセージ』には完全にノックアウトされた」と、チャック・Dは語ります。「最も影響力のあるMCが『意味のあること』を主張した初めてのラップグループだった」

「ザ・メッセージ」は、ヒップホップのリズムに載せて、初めてアメリカのインナーシティ(都心部のスラム街)の真実を語った曲。

その後の名作(ジェイ・Z、リル・ウェイン、N.W.A、ノトーリアス・B.I.G.、さらにはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンまで)の中からも、その影響をはっきりと聞くことができます。

7分以上続くゆっくりとしたリズムは、1970年代にPファンクがやっていたジャム・セッションに近いもの。

その演奏に合わせ、ラッパーのメリー・メルと、曲の共作者でありシュガー・ヒル・レコード所属のハウス・バンド・メンバー、デューク・ブーティーのセリフが交差し、ドラッグや売春、刑務所、さらにゾッとするような死の予兆など、苦闘と崩壊の情景を表現しています。

さらに各ヴァースの終わりでは「押すなよ(追い詰めないでくれ)/ぎりぎりのところにいるんだから/正気を失わないようにしているのさ」と警告を鳴らし、その一語一語が銃声のように響きます。

Crimmins Avenue in the Bronx. (1977)

Crimmins Avenue in the Bronx. (1977)
via. Arty Pomerantz/NYP/Getty Images

1970年代当時、サウス・ブロンクスは最悪と言えるほど都心部が荒廃。

フラッシュこと、ジョセフ・サドラーは、「ザ・メッセージ」の舞台と非常によく似た地域で育ちました。

パーティーを盛り上げる多彩な演出と、画期的なフラッシュのターンテーブル・スキルをミックスし、フラッシュとフューリアス・ファイブは、クール・ハークやピート・DJ・ジョーンズのような初期のパイオニアたちを押しのけて、ニューヨークのボロウ(5つの区)界隈でナンバーワンのDJクルーになりました。

(そして、何よりもスクラッチを発明したのはフラッシュです)

フラッシュは1983年のインタビューにて、彼とファイブのメンバーが「社会的意義や、真実を語ることができる」ことを「ザ・メッセージ」によって証明したと主張。

しかし、ブーティーが作ったオリジナル・デモ(後に「ザ・ジャングル」と呼ばれるトラック)を最初に聴いたメンバーは、初期のラップレコードとしては珍しい「テーマ」であり、曲のビートも遅いことから、ヒップホップのクラブに通う人たちには、理解されないのではないかと心配。

グループのメンバーの中で唯一「降参」して録音を承諾したメンバー、メリー・メルの回想によると:シュガーヒル・レコードの代表シルヴィア・ロビンソンは、ブーティーのトラックに追加の歌詞を書いてラップするよう依頼。さらにレーベル専属のスタジオプレーヤー、レジー・グリフィンが印象に残るシンセのリックを追加しました。

フラッシュとファイブの残りのメンバーは、レコードにクレジットされてはいるものの、実際には、曲の終わりに展開する「メンバーが警察から嫌がらせを受けて逮捕される」という寸劇のみの参加となりました。

結果「ザ・メッセージ」はビルボードのR&Bシングルチャートで4位を記録し、商業的な成功を収めました。

しかし、その混乱した曲の誕生は、フラッシュとファイブのメンバーにとって致命的なものとなり、グループは分裂。

2007年には再結成が実現し、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイブは、ロックンロールの殿堂入りを果たした初のラップグループとなりました。

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