
via. NY Daily News/CUL
ラップ・ミュージックは、若い白人の聴衆をも魅了し、1960年代後半のいわゆるソウルミュージック以来の黒人音楽の形態として、大衆に受け入れられる可能性があります。
ニューヨーク・デイリー・ニュース1981年2月20日号の記事より、著者は同誌のコラムを担当する(特にブラックミュージックに詳しい)記者ヒュー・ワイアット氏によるもの。

モハメド・アリ(中央)の活動を取材する、ヒュー・ワイアット氏(右)
via. @hughwyatt
当時読者層にはまだ馴染みの薄かったラップ・ミュージックを紹介。さらにブームが終焉を迎えたディスコ・ミュージックについてかなり辛辣な解説をしています。
記事中に登場した、(デボラ・ハリーのラップをフィーチャーした)ブロンディのシングル「Rapture」は、このコラムの1ヶ月後、ビルボードホット100で(2週連続)1位を獲得しています。
ラップが音楽を奏でるとき
ニューヨーク・デイリー・ニュース、1981年2月20日号「ラップ・ミュージック」。クールで洗練されたストリートの黒人たちによる、この生意気な新熟語は、若い白人の聴衆をも魅了し、1960年代後半のいわゆるソウルミュージック以来の黒人音楽の形態として、大衆に受け入れられる可能性があります。
「ラップ」とは、早口で機知に富みヒップな話し方をすることを意味します。(レイノルズのラップや、刑事告訴を意味する「rap」、顔への平手打ちの「rap」と混同しないように)

レイノルズのラップ(wrap)とは、Reynolds社製のアルミホイルのこと
via. Dotdash Meredith
またラップには歌がほとんどなく、自信過剰な態度と、重くファンキーでヒップなビートが特徴です。
(先月、1981年1月にリリースされた)パンク・ロッカー、デボラ・ハリーとブロンディによる「ラプチュアー」。このレコードによってラップは新たな大衆性を獲得しました。

Rapture – Blondie (1981)
via. Discogs
そうはいっても、ラップの元祖といえば、バプテストの黒人伝道師や助祭たちという事実に変わりはありません。
さらにこの(1981年までの)5年の間、若い黒人の間で人気を博してきた「ラップ」という言葉は、60年代の公民権運動の際にも使われたものです。
(「ラップ」と聞いて)過激派のヒューバート・ブラウンを思い出す人がいるかもしれません。早口でまくしたてることから「H・ラップ・ブラウン」と呼ばれるようになった人物です。

公民権運動活動家、H・ラップ・ブラウン
via. Robert W. Woodruff
そして同時期には、歌手のジェームス・ブラウンやジョー・テックスが、現在市販されている多くのラップ・レコードとよく似た曲をリリースしています。

Papa Was Too – Joe Tex (1966)
via. Discogs
一方、1970年代に入り、アッパー・ミドルクラスの白人の若者たちの多くは、ディスコ・ミュージックを声高に拒絶しました。それがあまりにも成金趣味で、派手でダサいと思ったからです。(しかし不思議なことに、ディスコのリズムはラップの音楽にそのまま残っていますが)
そして、より政治的に鋭い黒人たちにとってディスコは、1960年代の公民権運動のような真摯な政治闘争とは、かけ離れていると感じ、(コンクヘアーやギラギラした服のように)下品で同化の典型であると考えたのです。
私は人類学者ではありませんし、個人的な直感ですが、若い白人がディスコ・ミュージックを拒否したのは、現状維持を象徴する音楽と感じたからでしょう。たいてい子供は反抗するものです。彼らはディスコを避け、パンクロックの「反骨精神」や、黒人がリアルな苦境を物語る古風なブルースに惹かれたのです。

“When a rap makes music” (New York Daily News 1981-02-20)
via. CUL