オリジナル・ギャングスタ・ラップ「P.S.K.」誕生秘話:スクーリー・D インタビュー

Schoolly D & DJ Code Money (1986)

Schoolly D & DJ Code Money (1986)
via. Jive/Discogs

それは1985年。フィラデルフィア出身のスクーリー・Dは、DJ・コード・マネーと共に録音した1枚のレコードがきっかけで、すぐにヒップホップ界のレジェンドとなりました。

この曲は彼が脚光を浴びるきっかけとなっただけでなく、ラップというジャンル全体のキックスタートを独力で切り開いたのです。

フィラデルフィアの地元紙「フィラデルフィア・シティ・ペイパー」2004年3月18日-24日号に掲載された特集記事「オリジナル・ギャングスタ:いかにしてスクーリー・Dはラップの世界を変えたか」より。

(現在廃刊。アーカイブは「My City Paper」で読むことが出来ます)

スクーリー・Dのインタビューは「PSK」のサウンド最大の特徴について、曲全体を包み込む「残響音」の謎を解決しています。

Schoolly D ‎– P.S.K.-What Does It Mean? (1985)

Schoolly D ‎– P.S.K.-What Does It Mean? (1985)
via. Discogs

「P.S.K.ホワット・ダズ・イット・ミー?」は、スクーリーの地元の友人たちで悪名高いチームとして知られる「パークサイド・キラーズ」へのオマージュ。

ストリートでの経験を綴ったリアルな歌詞と、不吉に響き渡る「低音の残響音」は我々を別世界へと誘い、それは今まで経験したことのないものでした。

そして、のちにN.W.Aやアイス-Tら西海岸勢の活躍によって拡大していくことになる「ギャングスタ・ラップ」というハードコアなジャンルの火付け役となりました。

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「辞めようと思っていた時に、地元のヤツらに触発されたんだ」とスクーリーは言います。

「エル線(地元の列車)に乗っていると、地元のひとりと偶然会った。ヤツは『もう一回やってみて、もう一曲作ってみて、気が乗らなかったら辞めればいいんだよ』みたいなことを言った」

さらなるインスピレーションの源も地元の仲間でした。

「知り合いのアブドラとディスコ・マン、そしてダチのマニーが『俺たちのことを歌にしたらどうだ。パークサイド・キラーズのことを歌にしてみないか?』と言ってきた。

今までに書いた曲の中で一番簡単だった。ママのダイニングテーブルに座って 朝の3時にマリファナを吸いながら書いたんだ」

Schoolly D (Jesse Weaver) (1986)

Schoolly D (Jesse Weaver) (1986)
via. David Corio/Getty Images

スタジオ入りのためにスクーリーは、新たなインスピレーションと大量の葉っぱで完全武装。

ただ、地元に専用のスタジオがなかったため、クラシック音楽用に設計されたスタジオで録音するしか方法がありませんでした。

「スタジオには、誰も使ったことのないようなでかいプレートリバーブがあった。だから『PSK』のようなサウンドを生み出せたのさ。

すべてライブ録音だ。だから耳を澄ますと、俺がドラムマシンを操作している音が聞こえるだろう。

俺たちはどんどんハイになっていき、さらにハイに、さらにハイに。『喫煙』を繰り返していると、俺たちは制御不能になった。

DJ Code Money (Lance Allen) (1986)

DJ Code Money (Lance Allen) (1986)
via. David Corio/Getty Images

そうすると突然、この曲は別の人生を歩むことになる。

『ブーシュ、ブーシュ』みたいなヤバい(残響)音がすると、俺達は互いの顔を見合わせて『それだ、もっとやれ』って感じになった」

この「ブーシュ」というサウンドが「PSK」を、それまでになかったものとして際立たせたのです。

キメまくった末に生まれた低音の残響が、センセーションを巻き起こしたのです。

「家に帰って、テープレコーダーで鳴らしてみたら驚いた『俺は一体、何てことをしたんだ?』って感じだったよ。いくらリバーブを使ったからといって、こんなことは今まで誰もやったことがないと。

俺は『スタジオに戻ってリバーブを取り除かないと』となった『あまりにもサウンドがクレイジーだ』

その頃、他のみんなはテープをコピーして、パークサイドのヤツらに配っていた。そんなこと俺は知らなかった。

だから、スタジオに戻ろうと思った頃にはテープが至る所に出回っていて、街のヤツらはみんな夢中になっていた。

『俺たちが今まで聞いた中で、マジで最高にヤバい』」

Schoolly D ‎– P.S.K.-What Does It Mean? (1985)

Schoolly D ‎– P.S.K.-What Does It Mean? (1985)
via. Discogs

当時、スクーリーは、自分のやっていることがこれほど革新的なものであるとは考えていませんでした。そして、それが偶然に生まれたいう事実は、その偉大さを奪うものではありません。

「偶然が良いものを生むこともある。その偶然のためには、ある程度の時間が必要なのさ。

500枚から売り始めたレコードは、5000枚となり3万枚となった。さらにニューヨークだけでも約2カ月で、3万枚から10万枚売れていった。

俺は世界中を飛び回った。スピン(音楽雑誌)に記事が載ったのはそれからだ。

ハードコアな曲になることは、最初からわかっていた。しかし『PSK』がなければ、ギャングスタ・ラップは生まれなかった」

"Singles Column" by John Leland (May 1986)

「PSKは、最も劇的で新しいハードコア・ヒップホップ」
米音楽誌「スピン」の記事(1986年)
via. Spin Magazine

関連記事:究極のギャングスタ・ラップ:スクーリー・D「P.S.K.ホワット・ダズ・イット・ミー?」

"Going Schooling" by Scott Mehno (October 1986)

音楽誌「スピン」に掲載された、スクーリー・Dのインタビュー記事(1986年)
via. Spin Magazine

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