
Grandmaster Flash & The Furious Five – The Message (1982)
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米音楽メディア「Rolling Stone」は「歴史上最も偉大なヒップホップ・ソング」と題し、全50曲を選出。
The 50 Greatest Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone
編集部注:このリストを作成するために本誌は、リック・ルービンからバスタ・ライムスまで、33人のアーティストと専門家に「好きなヒップホップの曲」を選んでもらい、その数字を集計しました。
クリックすると、投票者のリストを読むことができます。
「選考委員」は、ナズやアドロック、マイクD、クエストラブなど豪華な顔ぶれ。
Artists/Producers
Busta Rhymes
Big Boi, Outkast
Luther Campbell
Mike Diamond, Beastie Boys
Jermaine Dupri
Adam Horovitz
Kurupt
Talib Kweli
MC Lyte
Tom Morello
Q-Tip
Questlove, The Roots
Nas
Vernon Reid
Boots Riley, The Coup
Pete Rock
Rick Rubin
トップ10は以下の通りです。
- Grandmaster Flash and the Furious Five, ‘The Message’
- Sugarhill Gang, ‘Rapper’s Delight’
- Afrika Bambaataa & the Soul Sonic Force, ‘Planet Rock’
- Run-DMC, ‘Sucker M.C.’s’
- Geto Boys, ‘Mind Playing Tricks on Me’
- Dr. Dre feat. Snoop Doggy Dogg, ‘Nuthin’ But a ‘G’ Thang’
- Public Enemy, ‘Fight the Power’
- Notorious B.I.G., ‘Juicy’
- N.W.A, ‘Straight Outta Compton’
- Eric B. and Rakim, ‘Paid in Full’

The 50 Greatest Hip-Hop Songs of All Time
via. Rolling Stone
さらにここではトップ50の中から、1986年までにリリースされたヒップホップ・クラシック全12曲を紹介します。
関連記事:ヒップホップ 不朽の名作 14曲 [1979年 – 1986年編]:クエストラブが選ぶ
- Grandmaster Flash and the Furious Five, ‘Adventures of Grandmaster Flash on the Wheels of Steel’
- Funky 4 + 1, ‘That’s the Joint’
- Kurtis Blow, ‘The Breaks’
- Schoolly D, ‘P.S.K. What Does It Mean?’
- LL Cool J, ‘Rock the Bells’
- Beastie Boys, ‘Paul Revere’
- Run-DMC, ‘Peter Piper’
- Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, ‘La Di Da Di’
- Run-DMC, ‘Sucker M.C.’s’
- Afrika Bambaataa & the Soul Sonic Force, ‘Planet Rock’
- Sugarhill Gang, ‘Rapper’s Delight’
- Grandmaster Flash and the Furious Five, ‘The Message’
Grandmaster Flash and the Furious Five, ‘Adventures of Grandmaster Flash on the Wheels of Steel’

Grandmaster Flash And The Furious Five – The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel (1981)
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グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ「ジ・アドヴェンチャー・オブ・グランドマスター・フラッシュ・オン・ザ・ウィールズ・オブ・スティール」(1981年)
23歳のフラッシュは、3台の「ターンテーブル」と彼が発案した「クロスフェーダー」を使って、シック、ブロンディー、クイーンなどのレコードから、途切れることなく続くパーティー・ジャムを作りあげました。
猛烈なスピードのスチールホイールさばきを披露し、新しいタイプのポップミュージシャンとしての「DJ」を確立しました。
Funky 4 + 1, ‘That’s the Joint’

Funky 4 + 1 – That’s The Joint (1980)
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ファンキー・フォー・プラス・ワン「ザッツ・ザ・ジョイント」(1980年)
約10分の間、何小節にもわたって延々と続くディスコビートの高揚感の上に、煽動や自画自賛の言葉が広がっています。
ダグ・ウィンビッシュのベースをフィーチャーしたブレイクダウンは、ブーツィー・コリンズと比べても劣らないくらい超ファンキーです。
しかし、このパフォーマンスの真のスターはファンキー・フォーの「プラス・ワン」。ラップレコードのヒット曲に初の女性MCとして登場した、シャ・ロック(別名、シャロン・グリーン)です。
Kurtis Blow, ‘The Breaks’

Kurtis Blow – The Breaks (1980)
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カーティス・ブロウ「ザ・ブレイクス」(1980年)
メジャーレーベルから発売されたラップ・ミュージックとして初のヒット曲、最高87位を記録。
飾り気のないシンプルなトラックでは、軽快なベース・ラインとビートがジャンプ。ハーレム出身のブロウが「プレイグランド・パーティー」の大騒ぎを操り、パーカッションのブレイクダウンを指揮しています。
ブロウは「ザ・ブレイクス」リリース後、広範囲にわたってツアーを行い、Bボーイ・カルチャーをアメリカのメインストリームへ。後のラッパーたちのために道を切り開きました。
例えばRun-DMCのランは、活動を始めた初期の頃「カーティス・ブロウの息子」を名乗っていました。
Schoolly D, ‘P.S.K. What Does It Mean?’

Schoolly D – P.S.K.-What Does It Mean? (1985)
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スクーリー・D「P.S.K.ホワット・ダズ・イット・ミーン?」
「この曲がギャングスタ・ラップを生みだしたんだ」とクエストラブは語ります。
「この『型』を参考に、やり始めたのがN.W.Aだ」フィラデルフィア出身のMC、スクーリー・Dによる「P.S.K.ホワット・ダズ・イット・ミーン?」。「P.S.K.」は、「Park Side Killers」というギャング団に由来します。
ローランドのドラムマシン「909」がストレスで疲れ切ったビートを刻み、ゆるやかに威嚇するフロウが「彼の経緯」を語ります。
彼はコカインを買い、売春婦と寝て、葉っぱを買い、ピストルをちらつかせた。
しかし、「引き金を引かないと決めた」ことが、このジャムに救いを与えています。
LL Cool J, ‘Rock the Bells’

L.L. Cool J – Rock The Bells (1985)
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LL・クール・J「ロック・ザ・ベルズ」
「レイディオ」収録 (1985年)今日まで引用されている、ラップ界のロゼッタ・ストーンと呼ぶべき最重要曲。
LL自身もこの曲がお気に入りで、1991年のシングル「ママ・セッド・ノック・ユー・アウト」では、この曲を自らサンプリングしています。
関連記事:LL・クール・J「ロック・ザ・ベルズ」:ヒップホップ界のロゼッタ・ストーンと呼ぶべき最重要曲
Beastie Boys, ‘Paul Revere’

Beastie Boys – Paul Revere (1986)
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ビースティ・ボーイズ「ポール・リヴィアー」
「ライセンス・トゥ・イル」収録(1986年)ビースティーのメンバーがどのようにして出会ったのか、マカロニ・ウエスタン風の架空の物語。
アド・ロックが詳細を語り、そこにダイヤモンドとヤウクが横から口を挟む。このシニカルなやりとりは、遊び心満載なビースティーの典型例です。
2009年のボナルー・フェスティバルで、ビースティーは「ポール・リヴェール」を久々に披露。
このパフォーマンスは2012年にヤウクが亡くなる前の、最後のショーとなりました。
関連記事:「ポール・リヴィアー」ビースティ・ボーイズ:史上最も偉大なヒップホップ・ソング
Run-DMC, ‘Peter Piper’

Run-D.M.C. – Peter Piper (1986)
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Run-DMC「ピーター・パイパー」
「レイジング・ヘル」収録(1986年)Run-DMCの1986年の名盤「レイジング・ヘル」のオープニング・トラックは、(ギリシア神話の)ミダス王のような、DJの類い稀なる能力への最大の賛歌。
ランとDMCのみごとな阿吽の呼吸を要約するように、ジャム・マスター・ジェイは、「テイク・ミー・トゥ・ザ・マルディグラ」のスムース・ジャズ・ヴァージョン(ボブ・
ジェームスが1975年にリリース)のフレーズをスライス・アップ。
関連記事:Run-DMC「ピーター・パイパー」:究極のヒップホップ・カルチャー賛歌
Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, ‘La Di Da Di’

Doug E. Fresh & M.C. Ricky D – La-Di-Da-Di (1985)
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ダグ・E・フレッシュ・アンド・ザ・ゲット・フレッシュ・クルー「ラ・ディ・ダ・ディ」(1985年)
ラップのストーリーテリングにおけるひとつの到達点となった作品。
ノトーリアス・B.I.G.「ヒプノタイズ」や、スヌープ・ドッグ「Lodi Dodi」など、後に無限に引用され、この曲からラッパーたちがオフキーで歌うという流れも始まりました。
関連記事:「ラ・ディ・ダ・ディ」ストーリーテリングのマイルストーン
Run-DMC, ‘Sucker M.C.’s’
![Run-D.M.C. – Sucker M.C.'S (Krush Groove 1) [Promo] (1983)](http://oldschoolhiphop.suniken.com/wp-content/uploads/2020/11/run-dmc-sucker-mcs-krush-groove-1-promo-1983.png)
Run-D.M.C. – Sucker M.C.’S (Krush Groove 1) [Promo] (1983)
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Run-DMC「サッカーMC’s」
「Run-DMC」収録(1983年)最初の頃のヒップホップは、ディスコから派生したものでありクラブミュージックでした。
しかし「サッカーMC’s」リリース後、ヒップホップはストリートにたむろするティーンエイジャー達のものになりました。
「サッカーMC’s」は、オーバーハイムのドラムマシン「DMX」のシンプルなビートの上に、けんか腰なライムを乗せただけの曲で、Run-DMCのデビューシングル「イッツ・ライク・ザット」のB面として登場。
路上でスピンするブレイクダンサー達を意識してシングルカットされた曲です。
関連記事:Run-DMC「サッカーMC’s」が登場するまで、Bボーイのレコードは存在しなかった
Afrika Bambaataa & the Soul Sonic Force, ‘Planet Rock’

Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force – Planet Rock (1982)
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アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォース「プラネット・ロック」(1982年)
「全ての中で、最も影響力のある曲のひとつだ」リック・ルービンは語ります。「この曲が世界を変えたのさ」
ローランド「808」のビートをヒップホップに導入したことは、ビースティーからカニエまで、多くのアーティストが感謝していることでしょう。
さらに重要なのは、現代のダンス・ミュージックの非常に広い範囲にわたって、その元となるサウンドの「言語」を生み出したことです。
関連記事:「プラネット・ロック」ダンスミュージックの歴史を変えた1曲
Sugarhill Gang, ‘Rapper’s Delight’

Sugarhill Gang – Rapper’s Delight (Red label, 1st pressing 1979)
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シュガーヒル・ギャング「ラッパーズ・ディライト」(1979年)
当時はまだニューヨーク・クラブ界隈での、アンダーグラウンドな「現象」に過ぎなかったヒップホップを、初めてラジオでトップ40入りさせたのが、ニュージャージー出身の3人の男たちです。
オリジナルの12インチ・シングル「ラッパーズ・ディライト」は、まさに、都会のプレイボーイが語る「自慢話」が15分間に渡って収録された、というもの。
さらに6分半に編集された7インチ・シングルは、ポップ・チャートでは36位を記録。この瞬間「ラップ」はレコード音楽として「可能性」のあるジャンルとなりました。
関連記事;「ラッパーズ・ディライト」史上最も偉大なヒップホップ・ソング
Grandmaster Flash and the Furious Five, ‘The Message’

Grandmaster Flash & The Furious Five – The Message (1982)
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グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイブ「ザ・メッセージ」
「ザ・メッセージ」収録(1982年)「完全にノックアウトされた」と、チャック・Dは語ります。「最も影響力のあるMCが『意味のあること』を主張した初めてのラップグループだった」
「ザ・メッセージ」は、ヒップホップのリズムに載せて、初めてアメリカのインナーシティの真実を語った曲。
「追い詰めないでくれないか/ぎりぎりのところにいるんだから/正気を失わないようにしているのさ」その一語一語が銃声のように響きます。