
“Trojan” Duke Reid’s Sound System (1957)
via. The Rough Guide To Reggae
「週末になると大きなサウンドシステムがたくさん出現した。彼らはそれを組み立て演奏していたものだ」
「俺は子供だったから、そこでやっていたことすべてに興味があったのさ。親に黙ってこっそり出かけ、大きなシステムを見に行った」
「その音は、家の屋根のトタンをガタガタ鳴らすほどだった」
ジャマイカ生まれのクール・ハークが幼少期に体験した、キングストンの「サウンドシステム」文化は、大音量でライバルを圧倒したハークのDJスタイルに影響を与えたと、ヒップホップの歴史書「Groove Music: The Art and Culture of the Hip-Hop D.J. 」では示唆しています。
この本の「The Jamaican Sound System」の章では、ジャマイカのDJ「セレクター」と、その必須装備「サウンドシステム」。それらを取り巻く慣習を振り返り、ヒップホップに与えた影響を紐解いています。
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DIYでサウンドシステムをカスタムし「クラッシュ」で対決した

“Mutt and Jeff Hi Fi” Ken Davey’s Sound System (c.1959)
via. Alpha Boys School Radio
ヒップホップの最初のDJクール・ハークは、移動式サウンドシステムの豊かな歴史をもつジャマイカからアメリカに渡って来ました。
ジャマイカの首都であり音楽の中心地キングストンでは、1940年代にモバイルDJの文化が生まれました。
Groove Music: The Art and Culture of the Hip-Hop D.J.
こうしたDJをジャマイカでは「セレクター」と呼び、(おもにアメリカのリズム&ブルース系の)レコードによる選曲だけでなく、サウンドシステムのパワーによって、いかに多くのリスナーを惹きつけるかを競い合いました。
セレクターが使う「システム」は、単純な市販のステレオではなく、ほとんどがターンテーブルやアンプ、スピーカーを組み合せ、何kmもの長さのケーブルを繋いだ手作りのものでした。
さらに、どれも巨大で、中には50個ものスピーカーを搭載したシステムもありました。

Hedley Jones built the sound systems (1950s)
via. Hedley Jones
ジャマイカ出身のレコード・プロデューサー、ジュニア・リンカーンは、ジャマイカのサウンドシステムについてこう述べています。
「まず、アンプがヤバかった、そして低音を強調しているんだ。そして20インチから24インチのスピーカーで演奏することもある。だからマジで音がズシンと響く。ベースラインは本当に重い。その「重さ」といったら、いままでに経験したこともないような音だ」
ジャマイカのDJ「セレクター」は、ダンスホールの会場で行われていた「クラッシュ」と呼ばれる競技会に挑戦すると、高い評価を得ることができました。
何時間も早く到着した「ボックスマン」と呼ばれるクルーが、ダンスホールの反対側でシステムを組み立てます。システムには「トロージャン」や「ダウンビート」などの名前がついていることも多かった。

“Trojan” Duke Reid’s Sound System (1957)
via. reggae.es
*「トロージャン」は、デューク・リードのサウンドシステム。「ダウンビート」は、サー・コクソン・ドッドのサウンドシステム。「サー・コクソンは父の友人だった」とクール・ハークはインタビューで答えています。

“Downbeat” Coxsone Dodd’s Sound System (1950s)
via. cryptamag
夕方になり「クラッシュ」が始まると、セレクターたちは交互に演奏を始め、優勝者は観客の拍手によって決定しました。
ジャマイカ生まれのクール・ハークは、ブロンクスで「キング」になった

“Herculords” Kool Herc’s Sound System (1980)
via. Charlie Ahearn
若い日にジャマイカのサウンドシステムを体験したクール・ハーク。その出会いは、今も強く印象に残っているといいます。
「週末になると大きなサウンドシステムがたくさん出現した。彼らはそれを組み立て演奏していたものだ」
「俺は子供だったから、そこでやっていたことすべてに興味があったのさ。親に黙ってこっそり出かけ、大きなシステムを見に行った」
「その音は、家の屋根のトタンをガタガタ鳴らすほどだった」
関連記事:Kool Herc(クール・ハーク)
アメリカで青年期を過ごした若きハークは、ブロンクスで最もパワフルなシステムを構築。新天地では瞬く間に、誰もが認めるDJの王者となりました。
ブロンクスのDJたちが所有する、巨大なサウンドシステムは、重低音を強調したスピーカーが特徴で、時にはエコーやリバーブを使用することも。それはまさに、ジャマイカの様式を再現しているようでした。
あるDJは「ジャマイカン・ベース・ボトム」という、パワフルで大きなスピーカーを持っていました。これはブロンクスに住む移民によって製作された特注品でした。
DJたちは「バトル」と呼ばれる大会を開催。これはキングストンで行われるサウンドシステムの「クラッシュ」のようなもので、マイクを使って大声で叫んだり、ボースト(自慢)したり、ディスったりしました。
サウンドシステム文化がヒップホップに与えた影響

“Boss Hi-Fi” Jack Ruby and his Sound System (1970s)
via. Ted-Bafaloukos
巧みなDJやMCがラップに発展していったことは、サウンドシステムにおける慣習「トースティング」にも似ています。
民族音楽学者による最近の研究では、ヒップホップのサウンドとジャマイカ音楽の様式との間には、さらなる関連性があることを示唆しています。
ウェイン・マーシャルは、ハークがチョイスする「ドラムと重いベースで構成されるブレイク」が、レゲエの特徴である「スパース(すかすか)で、ヘビーなグルーヴ」に起因していると指摘。
また、マイケル・ヴィールは、「録音された音楽を『裸』にして、純粋なリズムの要素を残す」というヒップホップの様式は、「カリブ諸島由来」であると特定しています。

“Selector” at the controls (1970s)
via. Avrom Robin and Susan Finkelstein.
しかし、ジャマイカがヒップホップに与えた影響について、過大評価しすぎることは危険です。
ヒップホップ・プロデューサーであり歴史家でもあるアミール・サイードは、ヒップホップとジャマイカの「慣習」の間には類似性があるが、因果関係を示す確固たる証拠はほとんどないのでは、という可能性を示唆しています。
サイード氏が指摘するように、渡米した頃のハークはわずか12歳であり、DJではなかった。そして、ハーク自身もキングストンとの繋がりをそれほど重要視していないという趣旨を、インタビューでこう語っています。
「俺はジャマイカを代表してここ(ニューヨーク)に来たんじゃない。俺はまだ子供だった」
さらに、ハークの最初のギグよりも何年も前から、大型のサウンドシステムを搭載したモバイルDJがニューヨークに出没していた、ということです。
1976年に出版された「Discothekin」の記事によると、ビッグ・ジョン・アシュビーとブラザーQ.J.シンプソンというモバイル・ジョッキーが、早ければ1959年にはすでに活動していたという記述があります。
確かにこうした潜在的な影響を否定することはできません。
結局、ジャマイカがヒップホップに与えた影響を数値化することは不可能です。しかし、ヒップホップとジャマイカとは、広く知られている「サウンドシステムと、それを取り巻く慣習」という形で、深く関わっていることに間違いはありません。