
Run-DMC and André “Doctor Dré” Brown, WBAU/90.3 FM (July 1983)
via. Harry Allen
Run-DMCとオレンジ・クラッシュによる「イッツ・ライク・ザット」。
その本質的な暗さは不気味なヨーロッパ風、「実存的疎外感」で満載。現在ラジオ局でヒット中です。
ニューヨーク発のカルチャー誌、ヴィレッジ・ヴォイスの1983年6月21日号より。

via. The Village Voice (1983/6/21)
1983年5月21日に初めてチャート入りを果たした、Run-DMCのデビューシングル「It’s Like That / Sucker M.C.’s」の感想を、ライターのゲイリー・ジャーディム氏が語っています。
「It’s Like That」は今季、フックとなる曲

“John Who?” by Gary Jardim (1983/6/21)
via. The Village Voice
今シーズン、ヒップホップのフックとなる曲は、Run-DMCとオレンジ・クラッシュによる「イッツ・ライク・ザット」。
プロデューサーである、ラリー・スミスと(カーティス・ブロウ「タフ」の共作者)ラッセル・シモンズは、低音のキック音とスネアのアタックが機械的に絡み合う、「硬くナーバス」なビートとサウンドを作り上げました。
ターゲットとしてはニューウェイヴ系クラブ市場も狙っており、その本質的な暗さは不気味なヨーロッパ風、「実存的疎外感」で満載。現在(ブラックミュージック系の)ラジオ局でヒット中です。
記事では「疎外」(alienation)という言葉が何度か登場していますが、哲学における概念「人間が生んだ機械や貨幣がいずれは人間を支配、その管理のもと疎外される」を比喩として使用しています。
さらに「It’s Like That」の歌詞を引用し、その冷めた情景描写からメッセージの要素を探しています。
硬くナーバスな、1983年のバビロン。
ラップにつきまとう疑問、「ばかな!(it’s bullshit)」というモチーフの先にあるものは何なのか?それは「疎外」?
「すべての悩みを解決するのはお金だ/団結とはいったいどうなったんだ?/幻滅という言葉/ぼやけた眼鏡をかけたまま人生を歩んでる/そんなもんだ/それが現実だ/そこまで状況は悪くないんだ、と本当に思っているなら」
とにかく、破城槌を(城壁に)打ちつけるようなパーカッションと荒々しいヴォーカルがミックスされ、「ポリリズミックなダンスとハードロックが持つ衝動性」の融合に成功しています。
ちなみに、この記事のタイトル「ジョンって誰?」(John Who?)とは、民間伝承によるアフリカ系アメリカ人の英雄、ジョン・ヘンリーのこと。

via. The Village Voice
しかし(ライブは)エモーションが足りない

via. The Village Voice
「英語すら分かっていない/動詞も名詞も知らないくせに/おまえは、ただのヘボいMC/悲しい顔のピエロだ」
「Sucker M.C.’s」では、辛辣な歌詞に対抗するように、シラフではないリズムとエレクトロなパーカッション、そのシンコペーションの相互作用がリアルな「ブレイク」を生んでいます。
しかし、その叩きつけるような叫びが「ジョン・ヘンリーのハンマー」に潜む旋律の心から遠く離れているのが残念です。
タイトルにあった、労働者階級のアイコン、ジョン・ヘンリーの比喩はここで回収。
ライターのゲイリー氏は、同時期にデビュー当時のRun-DMCのライブを体験。ライブの未完成さに引っ張られたか、その印象からこの2曲に「心」が無いと最終的にダメ出しをプラス。
さらに後半の感想は辛辣、というよりも共演した「アフリカ・バンバータ」のライブがいかに素晴らしかったか、次世代のジョン・ヘンリーこそバンバータだ(加えてジョージ・クリントンの後継者はまさにバンバータだ、的な)というオチに。
先日「ロキシー」で行われたRun-DMCのライブでは、明らかにリアルなエモーションが欠如という印象。DJアフリカ・バンバータやアフリカ・イスラムが放つ、ダークな輝きによって完全に霞んでしまいました。
バンバータたちは新しいグループ「シャンゴ」を揺り動かし、そのリズムとサウンドのテクスチャーに詰め込んだ多くの「意味」は、まさに(ファンカデリックの)「One Nation Under a Groove」に向けられたものでした。

via. The Village Voice (1983/6/21)