
Run DMC at Mandel Hall Chicago Illinois (1985)
via. Paul Natkin
Run-DMCは、1983年に結成されたニューヨーク州クイーンズ区ホリス出身のヒップホップ・グループ。
2MC+1DJによる3人編成で、メンバーは「Run」のステージネームで知られるジョゼフ・シモンズと、「D.M.C.」ことダリル・マクダニエルズ、「ジャム・マスター・ジェイ」ことジェイソン・ミゼルです。
1980年代に最も成功したヒップホップ・グループのひとつであり、ヒップホップの歴史の中でも後のカルチャーに最も影響を与えたグループのひとつでもあります。
先人への敬意を表した、デビューシングル「イッツ・ライク・ザット/サッカーMC’s」
![Run-D.M.C. – It’s Like That [Promo] (1983)](http://oldschoolhiphop.suniken.com/wp-content/uploads/2020/11/run-dmc-its-like-that-promo-1983.png)
Run-D.M.C. – It’s Like That [Promo] (1983)
via. Discogs
「イッツ・ライク・ザット」では、ジョゼフ・シモンズとダリル・マクダニエルズが何年もかけて練り上げてきたライムを具体化。リズム・トラックでは、当時のヒップホップの代表曲「プラネット・ロック」や「ザ・メッセージ」へのオマージュを込めています。
ヒップホップの歴史書「The Men Behind Def Jam: The Radical Rise of Russell Simmons and Rick Rubin」より。
ラジオへのアピールを目的に構築されたパーカッシブなクランチ・サウンドは、革新的でありながらも警戒心を煽るものであり、Run-DMCの専売特許とも言えるパワフルで新鮮なサウンド美学を提示しました。
さらに素晴らしいのはB面の「サッカーMC’s」。この曲ではコールド・クラッシュ・ブラザーズをはじめとする、MCチームの先駆者たちに敬意を表してます。
コール&レスポンスで韻を踏むスタイルは、Run-DMCの原動力を確立。互いに相手の文章を直感的に仕上げていくことで高揚感とリズム感を強調。その結果、目まぐるしいスピードに到達していきます。
![Run-D.M.C. – Sucker M.C.’S (Krush Groove 1) [Promo] (1983)](http://oldschoolhiphop.suniken.com/wp-content/uploads/2020/11/run-dmc-sucker-mcs-krush-groove-1-promo-1983.png)
Run-D.M.C. – Sucker M.C.’S (Krush Groove 1) [Promo] (1983)
via. Discogs
2ndアルバム「キング・オブ・ロック」までRun-DMCのプロデューサーを務めることとなるラリー・スミスは、オレンジ・クラッシュ名義でリリースした前作「アクション」のバック・トラックを新曲「サッカーMC’s」で再現するために招かれました。
この曲ではラッセル・シモンズが作曲したビートが採用され、後にラッセルは「このシングルは、自分が関わったものの中でも最もクリエイティブだった」と語っています。
完成した「サッカーMC’s」には、様式化されたベース・ラインのようなものは排除されました。
「ラリーは俺達に、どんな音楽にしていったらいいか聞いてきたのさ」とDMCは振ります。「俺達は、音楽がいらない訳じゃない。公園でやっているジャムや、地下室でのパーティーのようにしたいんだ。だからレコードには、そんなビートとボーカルを録音したいんだ」
彼らはヒップホップ・ムーブメントを生み出したブロンクスのパーティー・ジャムを敬愛していました。にもかかわらず、皮肉なことに「イッツ・ライク・ザット」「サッカーMC’s」のリリースによって、ヒップホップの第1世代を事実上消滅させてしまい、ブレイクビーツ文化はドラムマシンの可能性に呑み込まれていきました。
関連記事:名曲「ロック・ボックス」はこうして生まれた。Run-DMC ダリル・マクダニエルズが語る、ラリー・スミスの手腕
ディスコグラフィ「シングル」

Run-D.M.C.- It’s Like That / Sucker M.C.’s (Krush Groove 1) (1983)
via. Discogs
- It’s Like That [Profile] 1983年3月12日
- Hard Times [Profile] 1983年12月11日
- Rock Box [Profile] 1984年4月16日
- 30 Days [Profile] 1984年
- Hollis Crew (Krush Groove 2) [Profile] 1984年
- King of Rock [Profile] 1985年1月15日
- You Talk Too Much [Profile] 1985年
- Can You Rock It Like This [Profile] 1985年11月6日
- Jam-Master Jammin’ [Profile] 1985年
- My Adidas [Profile] 1986年5月29日
- Walk This Way [Profile] 1986年7月4日
- You Be Illin’ [Profile] 1986年10月21日
- It’s Tricky [Profile] 1987年2月8日
ディスコグラフィ「アルバム」

Run-D.M.C. – Run-D.M.C. (1984)
via. Discogs
- Run–D.M.C. [Profile] 1984年3月27日
- King of Rock [Profile] 1985年2月5日
- Raising Hell [Profile] 1986年5月15日
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Run DMC at Fresh Fest press conference, New York (1984)
via. Josh Cheuse
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