「ラッパーズ・ディライト」と出会った少年が学校でスーパースターになった話:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景

Sugarhill Gang / Rapper’s Delight (1979)

Sugarhill Gang – Rapper’s Delight (1979)
via. Discogs

ラジオから大量のパーカッションとラテン・ピアノのシンコペーションが鳴り出した。それはシックの「グッドタイムス」みたいだったし、いい意味での「コピー」だった。その瞬間に自分の中の音楽の常識が、すごい音を立てて壊れていった。

Questlove Picks Rap Favorites- Top 50 Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone

ルーツのフロントマン、クエストラブ氏が語るヒップホップの古典「ラッパーズ・ディライト」の思い出。米音楽メディア「Rolling Stone」の特集記事より。

当時8歳だったクエストラブ少年が衝撃を受け、そしてパフォーマーになるきっかけとなった曲として、またヒップホップの最重要曲として「ラッパーズ・ディライト」を第2位にランクインしています

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[2] Sugarhill Gang, “Rapper’s Delight” (1979) Rolling Stone Magazine

[2] Sugarhill Gang, “Rapper’s Delight” (1979)
via. Rolling Stone

シュガーヒル・ギャング「ラッパーズ・ディライト」(1979年)

世界で初めて「ラッパーズ・ディライト」が公開されたのがフィラデルフィアのラジオ局で、俺が8歳の時だった。木曜日の夜8時24分、夕食にポーギー(タイ科の魚)とサヤインゲン、クリームコーンを食べた後のことだった。

俺と妹のドンは皿洗いをしながら、祖母のJVC製の時計ラジオでソウル系のローカル局をこっそり聴いていると、大量のパーカッションとラテン・ピアノのシンコペーションがラジオから鳴り出した。

JVC NIVICO IC radio digital clock radio. Made in Japan.

JVC(日本ビクター)製の時計ラジオ(1970年代)
via. modernon

それはシックの「グッドタイムス」みたいだったし、いい意味での「コピー」だった。その瞬間「5、4、3、2、1」と数えるタイミングで自分の中の音楽の常識が、すごい音を立てて壊れていった。

「アイ・セッド・ア・ヒップホップ、ザ・ヒッピー・トゥ・ザ・ヒッピー/トゥ・ザ・ヒップホップ・ユー・ドント・ストップ/ザ・ロック・イット・トゥ・ザ・バン・バン・ア・ブギー・セイアップ・ジャンプ・ザ・ブギー/トゥ・ザ・リズム・オブ・ザ・ブギー・ザ・ビート!」

Rappers Delight digital print, A4 print, lyrics,

ラッパーズ・ディライトの歌詞
via. East View Designs

フィラデルフィアの長屋は壁が薄いので、両隣の住人がこの曲を鳴らしているのが「ステレオで」聞こえてくるほどだった。

祖母が決めた「平日の夜の締め切り時間」を大幅に過ぎているのに、友人たちからの電話が鳴り始め、「今の聞いた?」って、まるでオーソン・ウェルズの『宇宙戦争』のやつが起きた感じだった。

翌日の夜、俺は前時代的なテープレコーダーを手に、白黒の作曲ノートを用意。(曲を録音し、歌詞を書き取るのに)準備万端だった。

black-and-white composition notebook

「白黒の作曲ノート」
via. gramco school supplies

この曲のおかげで、俺は小学校4年生の食堂で一躍有名人になった。仲良しのアンターはその週から俺のエージェントになってくれた。彼は、俺のパフォーマンスのスケジュールを組んだり、メモった歌詞とお菓子を交換してくれるよう、また体育の授業で女の子と手をつないでくれるよう交渉してくれた。

「ラッパーズ・ディライト」は、将来高校でバンドオタクになる俺を、1979年10月の1カ月間、スーパースターに変えたのだった。

Sugarhill Gang – Rapper’s Delight (1979)

Sugarhill Gang – Rapper’s Delight (1979)
via. Discogs

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