
Run-D.M.C. – Rock Box (1984)
via. Discogs
Run-DMCの登場はヒップホップ時代の到来を告げるものだった。
Bボーイの先導者として、貧困と先の見えない日常から逃れ、みんなに成功するチャンスがあることを導いたのさ。
Questlove Picks Rap Favorites- Top 50 Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone
ルーツのフロントマン、クエストラブ氏が語るRun-DMCと3rdシングル「ロック・ボックス」。米音楽メディア「Rolling Stone」の特集記事より。
ブラックミュージックがMTVでオンエアされるのが難しかった当時の時代背景を振り返り、ヒップホップとしてMTVで初めて「解禁」となった「ロック・ボックス」とRun-DMCの登場がいかに画期的だったのか解説しています。
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[13] Run-DMC “Rock Box” (1984)
via. Rolling Stone
Run-DMC「ロック・ボックス」(1984年)
「ロック・ボックス」がなければ、歴史上重要な「ウォーク・ディス・ウェイ」は実現しなかっただろう。
その重要性は、ただロックとヒップホップが、うまい具合に融合されたという単純な意味だけではない。
「パーラメント/ファンカデリック以後のブラック・ミュージックの華やかさ、そしてそれを取り巻くショービズが、ヒップホップの魔法を薄めてしまった」
Run-DMCのマネージャーのラッセル・シモンズは、そう感じていた。
Run-DMCが登場する以前の人たちは、すべてブロードウェイが作り出したものの一部に見えた、ということだ。
あらゆる場所にスーパーヒーローが存在したし、史上初の黒人ヒーロー達も半ば社会的地位を得ていた。
要するにヒーロー崇拝が最高潮に達していたということだ。ランの兄ラッセルは「リアリティ番組にハマる世代」が登場する数十年も前に何かを掴んでいた。
当時アメリカの人々は、見た目も服装も自分たちと同じようなスターを求めていたのさ。
音楽業界は昔からずっと、振り子のように両方に揺れてきた。
10年のうちの半分は神格化された人物を崇拝した。
(エルヴィスや、マッシュルームカット時代のビートルズ、1970年代のボウイ、1980年代後半のマドンナやモトリー・クルー)残りの半分は自分と同じような人々に夢中になる。
(マッシュルームをやめたビートルズや、1980年代のボウイ、初期のマドンナやニルヴァーナ)

Madonna: NYC (1983)
via. Richard Corman
ヒップホップ第2期(1982年~1987年)のゲートキーパーだったにもかかわらず、Run-DMCの登場はヒップホップ時代の到来を告げるものだった。
Bボーイの先導者として、貧困と先の見えない日常から逃れ、みんなに成功するチャンスがあることを導いたのさ。執筆者であるバンド・オタクの自分も含めて。
仕上げに「1つの石で2羽の鳥を落とせる」ちょうど中間地点を発見したこと。
Run-DMCは、進歩的なヒップホップ・ファンと、ロックを愛するファンのどちらにも響いた。
もちろん、その2年ほど前にMJ(マイケル・ジャクソン)とプリンスを「解禁」したMTVが、門戸を大きく開いたこともあって完璧な公式が出来上がった。
「ロック・ボックス」が多くの障害を打ち破ったことで、ヒップホップは新しいゴスペルとしての可能性を手に入れたのさ。
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