「マイ・アディダス」ヒップホップの転換点となった名曲:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景

Run-D.M.C. ‎– My Adidas / Peter Piper (1986)

Run-D.M.C. ‎– My Adidas / Peter Piper (1986)
via. Discogs

魔法の瞬間(そして巨万の富)はすぐそこだった。

ラッセル・シモンズが目にしたのは、3万人以上のオーディエンスたちがアディダスのシェルトゥを高々とあげる光景。そしてコンサートに出席したアディダス社の幹部たちが、それを目の当たりにしたことだ。

Questlove Picks Rap Favorites- Top 50 Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone

Run-DMC成功の瞬間を語るのは、ルーツのフロントマン、クエストラブ氏。米音楽メディア「Rolling Stone」の特集記事より。

その後、音楽の主流となるヒップホップの転換点が1986年にリリースされた3rdアルバム「Raising Hell」からのシングルカット「マイ・アディダス」であると解説。

ヒップホップ・クラシックの重要曲として「マイ・アディダス」を6位にランクインしています。

関連記事:ヒップホップ 不朽の名作 14曲 [1979年 – 1986年編]:クエストラブが選ぶ

[6] Run-DMC "My Adidas"/"Peter Piper" (1986)

[6] Run-DMC “My Adidas”/”Peter Piper” (1986)
via. Rolling Stone

Run-DMC 「マイ・アディダス/ピーター・パイパー」

ワンツーでパンチをお見舞いするが如く、ダリルとジョー、そしてジェイソンの3人は「俺たちはキングになる」と宣言した。

しかし彼らはこれまでとは違ったタイプのリーダーだった。それは彼らが「人々によって選ばれた」ということだ。

ランとD(DMC)は人々のように話し、考え、身近な存在だった。そして(最も重要なことだが)彼らは人々と同じような格好をしたまさに人々の「代表」だった。

人々がグループに共感できるようにするには「その構成要素を、最小限に絞り込む必要がある」と、ラッセル・シモンズは強調した。

最強のデビュー作では、ドラムとボーカルとターンテーブルだけという、可能な限り最小限の音楽で、変化をもたせるためにギターを1、2本加える程度だった。

"Run-D.M.C." album back cover (1984)

Run-D.M.C. debut album back cover (1984)
via. Discogs

関連記事:Run-DMC ファーストアルバム 全9曲レビュー

彼らはシュガーヒルの同胞たちが以前に犯したような、ロックのエリートたちに紛れ込んで、受け入れてもらうという過ちを犯すことはなかった。

「お互いに譲歩しましょう」という懇願はきっぱりと断った。Run-DMCは、自分たちの条件でなければ受け入れないと主張した。

その主張を確固たるものとした出来事とは。

マディソン・スクエア・ガーデンでのコンサートで、会場をを埋め尽くした聴衆全員に向かって、ランは「ひとつのスニーカー」を空に掲げるように煽った。

魔法の瞬間(そして巨万の富)はすぐそこだった。

ラッセル・シモンズが目にしたのは、3万人以上のオーディエンスたちがアディダスのシェルトゥを高々とあげる光景。そしてコンサートに出席したアディダス社の幹部たちが、それを目の当たりにしたことだ。最終的に、文句なしのお墨付きを得ることになった。

Run DMC and Whodini at Madison Square Garden (1986)

Run DMC and Whodini at Madison Square Garden in NYC (July 19,1986)
via. Ezra Maurer/Ebet Roberts/Getty Images

この出来事はヒップホップの転換点に。

ヒップホップは、もはや、おじいちゃんやおばあちゃんを困惑させるだけの音楽ではなく、大金を手にすることを意味した。

スタジアムでショーを行い、アルバムは数百万枚のセールス。スポンサー契約、賞と栄誉。

ヒップホップ時代の到来だ。

「マイ・アディダス」の12インチシングルは、ヒップホップが行き詰まっている時代に、「ポール・リヴィアー」の予告編として誕生した名曲だ。

Beastie Boys ‎– Paul Revere (1986)

Beastie Boys ‎– Paul Revere (1986)
via. Discogs

* ポール・リヴィアー(Paul Revere)は、ビースティ・ボーイズのデビューアルバム「Licensed to Ill」の収録曲。

マイ・アディダスの翌年、リック・ルービンのプロデュースのもと、同じくニューヨークのChung Kingスタジオで録音されました。

作詞作曲はアダム・ホロヴィッツ、ランとDMC、リック・ルービンによるもの。「Licensed to Ill」は、ビルボードのアルバムチャートでヒップホップ作品として初めて首位を獲得しています。

タイトルとURLをコピーしました