ラ・ディ・ダ・ディの衝撃:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景

Doug E. Fresh & M.C. Ricky D ‎– La-Di-Da-Di (1985)

Doug E. Fresh & M.C. Ricky D ‎– La-Di-Da-Di (1985)
via. Discogs

Questlove Picks Rap Favorites- Top 50 Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone

俺はその場に座り込み、文字どおり開いた口が塞がらないほどの衝撃を受けた。

単刀直入に言うと、スリック・リックの声は、ヒップホップ・カルチャーから誕生した最も美しいものだ。彼は俺たちにとってのビル・コスビーであり、優れたストーリーテラーであり救世主だ。

ルーツのフロントマン、クエストラブ氏が語るヒップホップの古典「ラ・ディ・ダ・ディ」の思い出。米音楽メディア「Rolling Stone」の特集記事より。1985年の夏に初めて聴いたスリック・リック(MCリッキーD)の声を唯一無二と評し、ヒップホップの最重要曲として「ラ・ディ・ダ・ディ」を第9位にランクインしています

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[9] Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, "The Show"/"La Di Da Di" (1985)

[9] Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, “The Show”/”La Di Da Di” (1985)
via. Rolling Stone

ダグ・E・フレッシュ・アンド・ザ・ゲット・フレッシュ・クルー「ザ・ショウ」/「ラ・ディ・ダ・ディ」(1985年)

古典的な地域性のお話。

1985年の夏の間、俺はカリフォルニア州ロサンゼルスの親戚の家で過ごした。(その年は)音楽界の超大物たちに平等な機会が与えられた最初の10年の中間点であり、特に黒人アーティストが公正な分け前を手に入れることができた時期だった。マイケル、プリンス、ライオネルが10年の前半を支え、後半はヒップホップのサウンドが主役になっていくように思えた。

いとこたちはいつもAMラジオを聴いていた。「KDAY」という放送局だ。(フィラデルフィアに住む)俺には24時間ヒップホップが聴ける局なんて想像もつかなかった。普段の自分は週末の3〜4時間、それを絶え間なく録音したもので1週間をしのいでいた。しかしロサンゼルスではまったく新しい、経験したことのない状況だった。

ロサンゼルスの、その夏のアンセム(代表する曲)は?、というと、トディ・Tの「バタラム」だった。「警察がドアをノックしてくるぐらいじゃ物足りない」という内容で、なるほど、ギャングの暴力は過去最高に達していたので、当然ながら音楽には彼らの暮らしぶりが反映される。つまり、どこに行ってもゲットー・ブラスター(ラジカセ)や車から「バタラム」が聞こえてきた。

Toddy Tee – Batterram (1985)

「バタラム」 トディ・T(1985年)
via. Discogs

だから、大好きなフィラデルフィアに戻って、いかに素晴らしい夏だったか友達に自慢したら「バタ何?」と言われたときの俺の驚きを想像してみてくれ。そのうえ、やつらに証明するための曲のカセットを俺は持っていなかったんだ。このままだと仲間はずれになってしまう。

まじか。思いも寄らなかった。フィリー(フィラデルフィア)にはひとりもいなかった。地元のDJもこの曲を知らないし、大学のヒップホップ・ラジオでも放送されたことがなかった、ローラースケート場の連中も、誰もこの曲を聞いたことがなかったんだ!

近所の友達、グレッグによると「みんな『ラ・ディ・ダ・ディ』に夢中だから、『バタラム』なんて誰も知らないよ」というのだ。彼が言うには、「ラ・ディ・ダ・ディ」は平日の夜にメインストリームのラジオで聴けるほどの人気曲だという。だからすぐに、その話は嘘だと俺は思った。

しかし、「そんなことはない」とグレッグは断言し、「9時のパワーナイン(という番組)で、9時50分頃に録音ができるよう、テープを用意しておくように」と俺に教えてくれた。

Doug E. Fresh & M.C. Ricky D ‎– La-Di-Da-Di (1985)

「ラ・ディ・ダ・ディ」 ダグ・E・フレッシュ & MC・リッキー・D(1985年)
via. Discogs

実際、(はじめて「ラ・ディ・ダ・ディ」を聴いた)俺はその場に座り込み、文字どおり開いた口が塞がらないほどの衝撃を受けた。俺がこれまで聞いたラップの中でも最も異彩を放つその声は、夏の間ずっと1番と2番の座をキープし続けた。

明らかに未来は今であり、そして、その発見の最前線にいたわけではない俺が、これ以上(ロサンゼルスで聴いた)トッド・Tのことを語り続けるのは馬鹿らしいと思った。

Slick Rick And Doug E. Fresh (1985)

スリック・リック(左)とダグ・E・フレッシュ(1985年)
via. gettyimages

単刀直入に言うと、スリック・リックの声は、ヒップホップ・カルチャーから誕生した最も美しいものだ。彼は俺たちにとってのビル・コスビーであり、優れたストーリーテラーであり救世主だ。誤解しないでほしいのは、決して(相方の)ダグが下手だということではない。(さらに、ニュー・ジャック・スウィングのパイオニアであるテディ・ライリーが、シングルA面の「ザ・ショー」の共同プロデューサーだと知っている人は何人いるのだろうか。)

スリック・リックの声は、はヒップホップにおける「スター誕生」の瞬間のひとつであった。ヒップホップ・クラシックの重要なパートの多くに「ダ・ディ」の最後の一行が使われているが、それも不思議ではない。リックはパンチライン、ウィット、メロディ、クールな抑揚、自信、スタイルに満ちあふれている。

Slick Rick performs performs at the U.I.C. Pavilion in Chicago (1985)

UICパビリオン(イリノイ大学シカゴ校)でパフォーマンスするスリック・リック(1985年)
via. gettyimages

彼はまさに「青写真」だ。彼みたいに自慢できるやつはいないし、彼のようなネーム・ドロッピング(歌詞にブランドを織り込むこと)ができるやつ、そして彼のように歌い、彼のようにユーモアのあるやつはいない。誰一人として。

この曲が30周年を迎えようとしている今、彼のような歌い方をするやつは、これからも現れないだろう。

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