
Beastie Boys – Paul Revere (1986)
via. Discogs
米音楽メディア「Rolling Stone」は「歴史上最も偉大なヒップホップ・ソング」と題し、ランキング50曲を選出。
The 50 Greatest Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone
歴史的な名曲として、そしてビースティ・ボーイズの最重要曲として19位にランクインを果たしたのが「ポール・リヴィアー」。
1986年にシングルリリースされ、同年発売されたファーストアルバム「ライセンス・トゥ・イル」に収録。レーベル仲間、Run-DMCとの共作です。(作者クレジットは、リック・ルービン、アダム・ホロヴィッツ、ジョセフ・シモンズ、ダリル・マクダニエルズ)
![[19] Beastie Boys, 'Paul Revere' Licensed to Ill, 1986 via. Rolling Stone](http://oldschoolhiphop.suniken.com/wp-content/uploads/2021/01/paul-revere-beastie-boys-1986-no-19-the-greatest-hip-hop-songs-of-all-time-rolling-stone.png)
[19] Beastie Boys, ‘Paul Revere’
Licensed to Ill, 1986
via. Rolling Stone
ビースティ・ボーイズ「ポール・リヴィアー」
「ライセンス・トゥ・イル」収録(1986年)マイケル・”マイク・D”・ダイヤモンドの記憶によると、「ポール・リヴィアー」のふにゃふにゃしたビートを思いついたのはアダム・”MCA”・ヤウク。
テープを逆回転させることによって生まれたビートは、パリパリしたこの曲の推進力となっています。
「俺たちは子供のように喜んで、スタジオで大声を出した」
ダイヤモンドは語ります。「アイデアとしては一番シンプルだけど、見事にハマったのさ」

ローランド社製のリズムマシン「TR-808」を操作するリック・ルービンとアダム・ヤウク(1986年)
via. Beastie Boys Story
歌詞は、ビースティーのメンバーがどのようにして出会ったのか、マカロニ・ウエスタン風の架空の物語。
アダム・”アド・ロック”・ホロヴィッツが詳細を語り、そこにダイヤモンドとヤウクが横から口を挟む。このシニカルなやりとりは、遊び心満載なビースティーの典型例です。
しかし、「女の子をウィッフルボールのバットで殴った」と韻を踏んだことが原因で、女性蔑視として問題作に。
その後、ビースティーは、彼らが成熟するにつれて、そういった詩は書かなくなりました。
2009年のボナルー・フェスティバルで、ビースティーは「ポール・リヴェール」を久々に披露。
このパフォーマンスは2012年にヤウクが亡くなる前の、最後のショーとなりました。