Lovebug Starski(ラヴバグ・スタースキー)

Lovebug Starski (1970s)

Lovebug Starski (1970s)
via. Michael Ochs

ラヴバグ・スタースキーは1970年代から80年代半ばにかけブロンクスを拠点に、DJ、ラッパーとして活躍したパイオニアのひとりです。

「ヒップホップ」という言葉の生みの親

Lovebug starski (1986)

Lovebug starski (1986)
via. The Sunday Times

「ヒップホップ」という言葉は、ブロンクスのギャング団「ブラック・スペード」で一緒につるんでいた仲間、ラヴバグ・スタースキーとキーフ(キース)・カウボーイが使っていた決まり文句だった。響きが気に入って俺も使うようになった。

こう証言するのはアフリカ・バンバータ。2012年コーネル大学のインタビューで答えています。

さらに、米ナショナル・パブリック・ラジオの公式メディアに掲載された、ラヴバグ・スタースキーの追悼記事(2018年2月8日に死去)には、「ヒップホップ」という言葉を生んだパイオニアとして、その功績を讃えています。

Lovebug Starski, Rapper And DJ Who Stood At The Vanguard Of Hip-Hop, Dead At 57

ラップ・ミュージックの様式のなかでも、ラヴバグ・スタースキーは最も「永久不変なもの」を作り出した人物として、その功績を認められています。

ブロンクス出身のラップ・DJである彼は、カルチャーがまだ黎明期にあった1970年代後半に「ヒップホップ」という言葉を生み出しました。

「ヒップホップ」が流行語になるずっと前、ラヴバグ・スタースキー(本名ケヴィン・スミス)は、初期のパートナーであるDJハリウッドとともに、ブロンクスのホットスポット「ディスコ・フィーバー」などでDJとして活動。

同時にパーティー・ロック(パーティーを盛り上げること)と、ラップの先駆者として活躍しました。

Lovebug Starski at the Disco Fever, South Bronx (1983)

Lovebug Starski at the Disco Fever, South Bronx (1983)
via. Rolling Stone

今では全米で、最も人を夢中にさせるジャンルのひとつである「ヒップホップ」。

その言葉の発案者となった経緯を、2006年に音楽ジャーナリスト、ピーター・ショルテスによるインタビューで、スタースキーは語っています。

「クソ野郎たちは、オールド・イングリッシュ800で酔っぱらって、マリファナでハイになっていた」

軍隊に向かう友人の送別会で、モルト・リカーとマリファナで盛り上がっていたパーティーの夜、スタースキーはその友人をからかい始め、鬼軍曹のような掛け声で「ヒップ、ホップ、ヒップ、ホップ、ヒップ、ホップ」と行進しました。

そして、スタースキーとキース・カウボーイ(グランドマスター・フラッシュ & ザ・フューリアス・ファイヴ)は、コール&レスポンスを始めました。

「俺が『ヒップ』と言うと、キース・カウボーイは『ホップ』と言った。

それから、ヤツはそれをしなくなったが、俺はやり続けた」

Keith "Cowboy" Wiggins (1980)

Keith “Cowboy” Wiggins (1980)
via. Anthony Barboza/Getty Images

「ヒップ、ホップ、ヒッピー、ヒッピー・ホップ・バップ」

後にスタースキーは「パーティー開始のライム」として、群衆を沸かせるために、この韻を踏むようになりました。

「ヒップホップ」というフレーズは、1979年に発売されたラップ界初のレコード、シュガーヒル・ギャング「ラッパーズ・ディライト」の大ヒットによって広まっていきました。

シュガーヒル・ギャングの契約レーベル、シュガーヒル・レコードを運営していたシルヴィア・ロビンソンは、当初このシングルに、ラヴバグ・スタースキーを推していました。

しかし、彼はすでに別のレーベルと、レコーディング契約を結んでいました。

参照:Payback Is a Motherlandby Peter S. Scholtes : City Pages

関連記事:「ヒップホップという言葉を作ったのは俺だ」:ラヴバグ・スタースキー インタビュー

「ラッパーズ・ディライト」誕生のヒントに

Sugarhill Gang / Rapper's Delight (Red label, 1st pressing 1979)

Sugarhill Gang / Rapper’s Delight (Red label, 1st pressing 1979)
via. Discogs

米ビルボード誌、2019年10月17日号に掲載された、シュガーヒル・レコードの創設者シルヴィア・ロビンソンの生涯を振り返った記事から。

ここでは、大ヒット曲「ラッパーズ・ディライト」の曲の構成要素である、「シックの『グッド・タイムズ』 + ラップ」の組み合せが、ラヴバグ・スタースキーのライブからヒントを得たものだったと指摘しています。

The Rise and Fall of Hip-Hop’s First Godmother: Sugar Hill Records’ Sylvia Robinson : Billboard

この騒動(自身のレコード会社、オール・プラチナが破産を申請)の中、シルヴィア・ロビンソンは、レノックス通りと116丁目の角にある2階建てのナイトクラブ、ハーレムワールドを訪れました。

ここは、路上や公園で根付いていた「ビートとライムの文化」が室内に持ち込まれ、1979年の夏には、ニューヨークの珍しい名所のひとつとなっていました。

シルヴィアをパーティーに連れ出したのは、彼女の姪たち。

そこで彼女は、この夏のヒット曲、シックの「グッド・タイムズ」のブレイクに乗せラップする、ラヴバグ・スタースキーの姿に心を奪われました。

個人的にも経済的にも、救われるものを見つけたとシルヴィアは確信しました。

Harlem World

Harlem World
via. djpreme

一方、ラヴバグ・スタースキー本人のインタビューによると、このパーティーはシルヴィア・ロビンソンの誕生日パーティーだったと語っています。

「彼女は俺のアイデアをパクったのさ」

「ハーレムワールドで彼女の誕生日パーティーをやったんだが、そこで彼女はひらめいたんだ」

「彼女は言うんだ、俺が必要だと。

彼女にしてみりゃそうだろうが、当時の俺はレコードを出す気はなかったんだ。

DJをやるだけで、大金を稼いでいたからね」

関連記事:「ラッパーズ・ディライト」史上最も偉大なヒップホップ・ソング

グランドマスター・フラッシュが語る、ラヴバグ・スタースキー

Party Flyer, Renaissance Ballroom, 150 W.138 St. (1979/06/28)

Party Flyer, Renaissance Ballroom, 150 W.138 St. (1979/06/28)
via. CUL

「スタースキーの何が際立っていたかというと、DJプレイとマイクでのトーク、両方を同時にこなすことができたことだ」

「そして、それが本当にみごとだった」

グランドマスター・フラッシュは、ローリング・ストーン誌のインタビューで語っています。

Lovebug Starski, Rap Pioneer Who Popularized Term ‘Hip-Hop,’ Dead at 57 : RollingStone

「この技を発展させる上で、彼は非常に重要な役割を果たした」

「今ではみんなマイクとDJを同時にやってるけど、ヒップホップの世界ではスタースキーが最初にやったんだ」

ラヴバグ・スタースキーとして知られるケビン・スミスは、グランドマスター・フラッシュの、初期の「助手」でした。1970年代にブロンクスリバーの住宅プロジェクトでおこなわれたパーティーでは、DJフラッシュと並んで韻を踏んでいました。

「スタースキーは時々俺のライブでプレイしていたが、スキルがかなり高くなっていったので、もっとプレイしたがっていたよ」とフラッシュは語ります。

「彼は俺のグループの出身だが、ブロンクスのディスコ・ジョッキー、ピートDJジョーンズと組んでから爆発的に成長した」

Party Flyer, New Stardust Room, 3435 Boston Road, Bonx (1978/12/24)

Party Flyer, New Stardust Room, 3435 Boston Road, Bonx (1978/12/24)
via. CUL

観客を選ばない、ハイブリッドなDJの最初のひとり

Ego Trip’s Book of Rap Lists

via. Ego Trip’s Book of Rap Lists

さらに、当時を良く知るクールDJレッド・アラートは、「Ego Trip’s Book of Rap Lists」の
インタビューで、観客を選ばない実力派DJ+ラッパーとして、ラヴバグ・スタースキーを絶賛しています。

スタースキーには敬意を払わなければならない。

彼はヒップホップ、R&B、ディスコの要素を、組み合わせてプレイする方法を知り尽くしていた。

スタースキーはパーティーを選ばなかった。

群衆参加のあしらいを熟知しており、ミックスと同時にマイクも使い、場をリラックスさせることもやっていた。

年配の観客のために演奏することができたし、若い観客のためにプレイすることもできた。

彼にはブロンクスでもハーレムでも、観客を喜ばせるセンスと力量があった。

ヒップホップもできたし、他の道を行くこともできた。

尊敬に値するね。

昔、ラヴバグとDJスモーキーが、プロスペクト通りのバーガーキングでDJをしていたのを覚えている。

彼らはバーガーキングを閉めて、夜はディスコにしていた。まさにそれがヒップホップだったんだ。

関連記事:絶対に外せない! オールドスクールDJ 16人:DJレッド・アラートが選ぶ

ディスコグラフィ「シングル」

Little Starsky (Lovebug Starski) / Gangster Rock (1979)

Little Starsky (Lovebug Starski) / Gangster Rock (1979)
via. Discogs

  • Gangster Rock (Little Starsky 名義) 1979年
  • Dancin’ Party People (Little Starsky 名義) 1981年
  • Positive Life (with Harlem World Crew) 1981年
  • Live At The Fever (On Fever Records) 1983年
  • Live At The Fever Pt.2 (On Fever Records) 1983年
  • You’ve Gotta Believe (On Fever Records Also) (1983) 1983年
  • Do The Right Thing 1984年
  • House Rocker 1985年
  • Rappin’ 1985年
  • Amityville (The House on the Hill) 1986年
  • Saturday Night 1986年

ディスコグラフィ「アルバム」

Lovebug Starski ‎/ House Rocker (1986)

Lovebug Starski ‎/ House Rocker (1986)
via. Discogs

  • House Rocker 1986年

ラヴバグ・スタースキーに関する記事

「ヒップホップという言葉を作ったのは俺だ」:ラヴバグ・スタースキー インタビュー

「ラッパーズ・ディライト」史上最も偉大なヒップホップ・ソング

Johnny Thunderbird(ジョニー・サンダーバード)

「ラッパーズ・ディライト」音楽業界に旋風を巻き起こす

絶対に外せない! オールドスクールDJ 16人:DJレッド・アラートが選ぶ

アーティスト・インデックス

タイトルとURLをコピーしました