Kool Herc(クール・ハーク)

Kool Herc (right) with Tony Tone (1979)

Kool Herc (right) with The Cold Crush Brothers’ Tony Tone (1979)
via. Joe Conzo

「クール・ハーク」のステージ・ネームで知られるクライブ・キャンベルは、1955年4月16日ジャマイカ・キングストンで生まれたレジェンドDJ。

2台のターンテーブルを駆使し、レコードのドラム・ビート部分(ブレイク)をループさせる技術「メリーゴーランド」を発明。のちに「ブレイクビーツ」と呼ばれるDJプレイを生んだパイオニアです。

「ブレイク」と「メリーゴーランド」

Kool Herc at the T-Connection (1980)

DJブースの「大男」がクール・ハーク。2台のターンテーブル(Garrard社製?)や棚には大量のレコード、左側には音響システムが見えます。ハークの音楽に合わせBボーイ/Bガールが踊る貴重な写真です。
Kool Herc at the T-Connection (1980)
via. Charlie Ahearn

「ゲット・ダウン」と呼ばれるレコードの中でも特にファンキーな部分、ドラム・ブレイクのエッセンスを連続して俺たちに聞かせてくれた。

クール・ハークが開発したDJテクニック「メリーゴーランド」について、レジェンドDJ、グランドマスター・キャズがインタビューで語ったもの。

さらに、ダン・チャーナス著のヒップホップの歴史書「The Big Payback: The History of the Business of Hip-Hop」では「メリーゴーランド」誕生の詳細について書かれています。

実際、ハークはレコードの「ブレイク」だけを演奏するようになっていました。「ブレイク」とは、曲の中でシンプルな「ビートのみ」になった部分です。

しかし通常、ブレイクは数秒ほどの長さしかありません。ハークはそこにフラストレーションを感じていました。

たくさんのレコードを次から次へと、かけ続けなければならないか、そうでなければ、ブレイクの始まる部分に、針を戻さなければならないからです。

ハークはレコードの溝の質感から、ブレイクの場所をはっきりと見分けることがでました。しかし、針をブレイクの最初に戻すということは音楽が止まることを意味し、「Bボーイたち」にとってはストレスでした。

ブレイク(Break)に合わせて踊りに来るキッズたちを、ハークは「Bボーイ」とニックネームで呼んでいました。

Grand Wizard Theodore, Ritchie T, and Kool Herc at the T-Connection (1980)

Grand Wizard Theodore, Ritchie T, and Kool Herc at the T-Connection (1980)
via. Charlie Ahearn

ハークは考えました。もしも仮に「ビートを止めずにブレイクを延長できる」としたらどうだろうか?

解決策は、彼の頭の中に浮かんできました。

まず同じレコードを2枚用意する。

それぞれターンテーブルに1枚ずつ置いて、1枚目のブレイク部分が終わるとすぐに2枚目を始める。

行ったり来たりしながら、わずか15秒〜30秒のブレイクを、3分のビート、5分のビート、10分のビートに変えていく。そして次のブレイクへ、次のブレイクへと移行していく。

ハークはこれを「メリーゴーランド」と呼びました。

それはちょっとした「工夫」でしたが、このひらめきは、大きな出来事が誕生した瞬間でもありました。

DJは単に音楽を提供するだけの人間から、音楽を変える人間へと変貌。

要するにDJは、DJ自身がミュージシャンになったのです。

「Hercules」を「Herc」に短縮した

EX-VANDALS, HERC and Phase2

“HERC”
via. Rock The Bells

「ニックネームに「Kool」という名前を選んだのは俺だ」

2014年ションバーグ黒人文化研究センターにて行われた、トークイベントでのインタビューより。ニックネーム「Kool Herc」の由来について。

「高校の頃、バスケットボールをやっていた。ヤツらは俺のフィジカルの強さに驚いたのさ。

足の筋肉が発達したのは、自転車に乗っていたから。あとジャマイカではサッカーをしている時に、ボールが当たるとみんな踏みつけてくるんだ。

こんな経験から高校時代の俺は、アグレッシブなバスケットボール選手になっていった。」

「みんなは俺のことを『サムソン』『サイクロプス』『ラーチ』と呼び始めた、これが最終的に『ヘラクレス』へと繋がった」

「俺はヘラクレス(英語読みではハーキュリーズ)を、ハークと短縮した(Hercules → Herc)」

「すると父親ですら俺のことを『ハーク』と呼ぶようになった。
俺はマーカーやスプレーペイントで『Kool Herc』とタギングするようになった」

「『与えられたもの』は何でも使っていくスタイルなのさ」

* サムソン(Samson):旧約聖書に登場する英雄。ペリシテ人によって支配されたイスラエルを救うため、巨大な力を与えられる。しかし長い髪を切られることでその力を失う。

Samson Julius Schnorr von Carolsfeld

“Samson”
via. Julius Schnorr von Carolsfeld

* サイクロプス(Cyclopes):ギリシア神話に登場する一つ目の巨人。

Cyclopes

“Cyclopes”
via. Mary Evans Picture Library Art

* ラーチ(Lurch):「アダムス・ファミリー」に登場する長身の執事。

"Lurch" (The Addams Family)

“Lurch” (The Addams Family)
via. Charles Addams

* ヘラクレス(Hercules):「力強さの象徴」として知られる、ギリシア神話最大の英雄。古代ギリシアや古代ローマ時代には神として信仰された。

Lysippos, Farnese Hercules

“Hercules”
via. Khan Academy

ヒップホップの誕生、セジウィック通り1520番地

"Kool Herc at the Party" (Hip-Hop Evolution)

“Kool Herc at the Party” (Hip-Hop Evolution)
via. Netflix

1973年の夏、ブロンクスでヒップホップは誕生しました。

その生みの親は、大きな体をした18歳のDJ。

ジャマイカ生まれのクライブ・キャンベル、通称クール・ハークです。

Groove Music: The Art and Culture of the Hip-Hop D.J.

しかし、この物語はハークの妹、シンディから始まります。

彼女は登校用に、スタイリッシュな新しい服が何着か欲しくて、資金調達のためにパーティーを開こうと考えていました。

入場料は女性が25セント、男は50セント。

父親からパワフルなステレオを借り、兄がそれを「操作」する。参加した人たちは、ファンクやソウル、ロックなど、最高の新譜を聞くことができる、というものでした。

そしてこれが、DJクール・ハークとしての最初のパーティーとなりました。

開催日は1973年8月11日。会場はハークと家族が住むアパート、その1階にある天井の低いコミュニティルーム。アパートの住所「セジウィック通り1520番地」は、現在ヒップホップ発祥の地として知られる場所です。

インデックス・カードを利用した招待状には、当日ハークが演奏予定の曲、ジェームス・ブラウンの「ゲット・オン・ザ・グッド・フット」(1972年)や、マンドリルの「フェンスウォーク」(1973年)などがいくつかリストアップされ記載されました。

そして、この手書きのカードによって、パーティは「バズる」ことになります。

"Back To School Jam" First Party flyer (1973)

“Back To School Jam” First Party flyer (1973)
via. Joe Conzo

招待状は今でも数枚ほど現存しています。

今や数十億ドル規模の、国際的なビジネスに成長したヒップホップ。

しかし、その招待状に書かれたバブル・レタリング(書体)と、星やハートで飾られた子供っぽいデザインが、もともとヒップホップは、スクール・キッズたちによって始まったという事実を、まざまざと思い出させてくれます。

"Party" Hip-Hop Evolution

“Party” (Hip-Hop Evolution)
via. Netflix

日没後も、気温が26度前後という暑い夏の夜でした。

汗だくになってダンスを踊る、大勢の観客の身体は、さらに熱を帯びていきます。

暴力と絶望に支配されることなく、パーティーは大いに盛り上がり、大成功に終わりました。

参加者のために安全な空間を提供したハークは、彼が開いたパーティーの魅力について、後に(三人称で)こう語っています。

「ウエストサイドの街の向こう側に、クール・ハークという男がいて、パーティーをやっているんだ」

「素敵なパーティーさ、女の子もいるしね。みんな自分のことをやればいい」

「ハークに言わせると『ここで問題を起こすなよ』というだけだ。ほんとうに大物だ。なにしろハークは6フィートちょっとの大男だから」

グランドマスター・フラッシュは、初めてハークのパーティーに行った時のことを回想しています。

「髪はアフロ。AJレスターのレジャースーツにバタフライ・カラーで、ハークはさらに大きく見えた」

Kool Herc (c.1970s)

Kool Herc (c.1970s)
via. Netflix

「パーティーでは彼が『神』だった。彼の背後では、赤と青のパーティー・ライトが巨大なビートに乗って脈打っていた」

フラッシュがさらに驚いたのは、ライバル関係にあった6つのギャングのメンバーがパーティーに参加していたこと。しかも

「パーティー内で闘争など全くなかった。誰も拳を振り回したり、銃を抜いたりしなかった」

関連記事:1973年8月11日 ヒップホップ誕生!「セジウィック通り1520番地」のパーティーとは何だったのか?

「ビッグ・マック」「テクニクス1100A」「シュアの柱」:無敵のサウンド・システム「ハーキュローズ」

"The big Mac" McIntosh MC 2300

“The big Mac” McIntosh MC 2300
via. ebay

DJは膨大な時間とエネルギーを費やして、サウンド・システムを構築します。

グランドマスター・フラッシュは街中の空き地をあちこちまわり、解体して使える部品がないか廃品機材を探しました。

マーク・カッツ著のヒップホップの歴史書「Groove Music: The Art and Culture of the Hip-Hop D.J. 」より。

トニー・トーンは、クール・ハークに匹敵するシステムの構築を目指していました。

「ハークは本物のシステムを持っていた。みんな彼のシステムを真似しようとしていたのさ」

「みんな自分たちの町の小さなセクションを牛耳っていて、山の頂上にはクール・ハークがいた。俺たちは山に登らなければならない。だからお金を稼いで機材を買いに行ったんだ」

トーンは自分のシステムに「マイティ・マイティ・サスクワッチ」という名前をつけました。これはおそらくジャマイカの伝統に従ったもの。

名前のついたサウンド・システムはこれだけではありません。ハークのシステムは「ハーキュローズ」、バンバータのは「アースクエイク」、フラッシュのは「グラディエーター」と呼ばれていました。

"The Herculords" Party at Claremont Center (1980)

「ザ・ハーキュローズ、ファンクの創始者はここにいる!」
“The Herculords” Party at Claremont Center (1980)
via. CUL

ディスコ・ウィズはこう説明します。

「おれたち、第一世代のパイオニアにとって、サウンド・システムを手に入れることが目的だった。そこを追求していたんだ。最高のアンプに最高のターンテーブル、それにぴったりなミキサーと、そびえ立つスピーカー」

「クール・ハークが持っているものを、みんなが真似したかった。それがゴールだったんだ」

ハークの秘密兵器は「システム」でした。

DJが自分で音響機材を用意していた時代に、ハークは最大で最高のシステムを持っていました。

当時、他のDJたちを圧倒したというクール・ハークのサウンド・システム。

その詳細については、クール・ハーク自身が1998年のインタビューで語っています。

ビッグマックのアンプだよ「2300 Mac」。あれは1600ドルだったかな。そこらで一番大きくて、最高級品だった。

「彼」は最高級のものを持っていた。GLI(ミキサー)を持っていたし、マッキントッシュ2300は1台じゃなくて2台、アルテックのボイス・オブ・シアター(スピーカー・システム)も2台持っていた。

あなたが「彼から買い占めた」という「彼」とは誰のこと?

「アメージング・バート」と名乗っていたヤツだ。 バンドのような音量だったがクソみたいな音楽を流していた。

彼はバハマからの留学生で、助成金でフォーダム大学に通っていた。俺は助成金はもらっていなかった。

その助成金で彼は新しいものを買っていった。

そして俺は彼からボイス・オブ・シアターを2台、そしてマックを1台買った。

Altec "The Voice of the Theatre" Speaker System (1971)

Altec “The Voice of the Theatre” Speaker System (1971)
via. Lansing Heritage Library

The big Mac McIntosh MC 2300

“The big Mac” McIntosh MC 2300
via. ebay

「トーレンス」は当時トップ・ブランドだったが、トーレンスのターンテーブルは好きじゃなかった。

テクニクスはまだ出ていなかった?

俺が使っている「1100A」が、ちょうど登場した頃だ。

テクニクスとトーレンスは金融市場で争っていた。界隈でトーレンスを使っているやつにアピールするためにも、俺はテクニクス1100Aを選んだ。

でもあのターンテーブルは、みんなが買えるようなものじゃなかった、高すぎた。それでもっと耐久性のある安価な1200が発売された。

1200には手は出さない、俺だったらね。

俺はまだ1100Aを持ってるし、復活させて欲しいよ。

Technics SL-1100A Direct-Drive Turntable

Technics SL-1100A Direct-Drive Turntable
via. Technics by Panasonic

俺は自分のシステムを「ハーキュローズ」と呼んでいた。

みんなは、俺のクルーがハーキュローズだと思っていた。でも正確には「ハーキュローズ」は俺のクルーの名前じゃない、俺のサウンド・システムの名前だ。

さらに、俺が作った2番目のサウンド・システムを「ノット・リスポンシブル」と名づけた。

ハークのインタビュー同様、ヒップホップの歴史書「Last Night a DJ Saved My Life: The History of the Disc Jockey」でも、ニックネーム由来の「Herculords」(ハーキュローズ)とはチームの名前ではなく「システムの名前」であると指摘。

サウンド・システム「ハーキュローズ」は無敵だった、と解説しています。

彼から影響を受けたDJ達が、たとえテクニックで彼を凌駕したとしても「音量」では誰もハークに勝てませんでした。

そのシステム(多くの人が「クルーの名前」と勘違いしていた)「ハーキュローズ」の心臓部は、「トワイライト・ゾーン」クラブでプレイしていたDJ達から集めたアンプ、通称「ビッグマック」の最上位モデル「マッキントッシュ2300」が2台と、「シュア」の巨大なコラム・スピーカーで構成されていました。

Shure Vocal Master Systems [VA303 & VA304] (1971)

「シュア」のコラム・スピーカー
Shure Vocal Master Systems [VA303 & VA304] (1971)
via. ebay

ハークがきっかけでDJとなった数多くのひとり、グランド・ウィザード・セオドアは、初めて「ハーキュローズ」のパワーを体感し、衝撃をうけた時のことを覚えています。

「ハークが聞かせてくれたレコードは、曲がさらに良く感じた。

毎日聞いているようなレコードをかけても、『うわー!あのレコードって、ああだっけ?』となった。入っているとは思ってもみなかった楽器が、レコードから流れてくる感じがした。

さらにベース音は『ブウン!!』って、信じられない音だったよ!」

“The Herculords” Party at T.Connection (1980)

「ハーキュローズ、すごいマシンと最高のサウンド」
グランド・ウィザード・セオドアとマスター・ロブの誕生日パーティのフライヤー
“The Herculords” Party at T.Connection (1980/3/8)
via. CUL

1970年代半ば、ブロンクスで無敵だったハーク

Cedar Playground (Cedar Park) in the Bronx

Cedar Playground (Cedar Park) in the Bronx
via. NYC Parks

ハークはブロンクスの至る所でパーティーを開き続け、サウンド・システムもさらにパワフルに進化していきました。そうしてレコード・コレクションを使いつくした頃には、ハークのパーティーと名声は大きくなっていきました。

Groove Music: The Art and Culture of the Hip-Hop D.J.

ジャムが開催された場所は、セジウィック通りの丘を登ったところにある「シーダー・プレイグラウンド(別名シーダー・パーク)」や、ウェブスター・アベニューとイースト183丁目にある「ポリス・ アスレチック・リーグ(PAL)のコミュニティ・センター」

そして後に「エグゼクティブ・プレイハウス」のようなクラブでおこなわれました。

「ハークのジャム」は何百人もの観客を集め、会場に到着するころには、すでに来場者で凄い事に。

1974年5月のパーティーを体験した、グランドマスター・フラッシュは回想します。

「パークジャムから2丁目手前で、すでに大音量だった。本当にクソうるさい音だった。何の曲を演奏しているのかも分かったほどだ」

「演奏していた曲はベーブ・ルースの『ザ・メキシカン』、雷が落ちたように、ズン!ズン!ズン!ズン!」

「あんな音聞いたことがなかった。音楽に限らずこれまでの人生で、あんな大きな音は初めてだった」

「スピーカーの音で地面が揺れたが、トランペットの高音ははっきりと聞こえてきた」

「スーパー・プロ・ケッズを履いているのに、ベースの重低音が体に響いた」

当時ハークは界隈のシーンを支配していました。まともなDJだったら、ハークと同じ夜にパーティーを企画するようなことはありませんでした。

クール・ハークの音楽の周りに、ヒップホップの文化が構築されていった。

Ego Trip’s Book of Rap Lists

via. Ego Trip’s Book of Rap Lists

クール・ハークは自分なりのやりかたで、音楽を演奏し表現した。

主流からはずれたレコードや、ダンスミュージックとして選ばないようなレコードを研究していた。

アフリカ・バンバータ率いるズールー・ネイションの重要メンバーで、1970年代のヒップホップ黎明期を良く知るクールDJレッド・アラートは、「Ego Trip’s Book of Rap Lists」の
インタビューで、ヒップホップの創始者としてクール・ハークに敬意を表しています。

1970年代半ばの話をするなら「ギャングの時代」からの解放と、恐怖の中で生活していたサウス・ブロンクスの人々が救われた、ということだ。パーティーを楽しむために人々は出歩くようになったのさ。

彼らの多くはダウンタウンやミッドタウンのクラブに行くことなんか思ってもみなかった。自分たちの地域から外へ出ることなんかなかったのさ。

ハークがジャマイカのキングストンからニューヨークにやって来た時、彼は故郷の音楽しか知らなかった。

たとえば、「トースト」と「ダブ」(最終的に「ラップ」や「ミックス」になっていく)がそれだ。

彼は自分なりのやりかたで、音楽を演奏し表現したのさ。

ハークは主流からはずれたタイプのレコードや、ロックのレコード、ダンスミュージックとして選ばないような、多くのレコードを研究した。

ベイビー・ヒューイやベイブ・ルースといったアーティストや、アルバムの収録曲、たとえばマーヴィン・ゲイのLP「トラブル・マン」の「T・プレイズ・イット・クール」が、それさ。

Baby Huey ‎– Listen To Me (1972)

Baby Huey ‎– Listen To Me (1972)
via. Discogs

Babe Ruth ‎– First Base (1972)

Babe Ruth ‎– First Base (1972)
via. Discogs

Marvin Gaye ‎– Trouble Man (1972)

Marvin Gaye ‎– Trouble Man (1972)
via. Discogs

当時はこういったビートが何の曲なのか、誰も知らなかった。

ハークはレコードのラベルを取り除いて、他のラベルに張り替えることでも有名だった。

探りに来たヤツらは「おお、あのレコードか!」と納得して帰るが、店に行ってレコードを買うと「思っていたのと違う」ってことになる。

関連記事:30秒のイケイケに、ブロンクスのDJたちが殺到する理由:DJクール・ハークとブレイクビーツ

「MC」を導入したのもハークが一番最初。コーク・ラ・ロックの名前で知られる男だ。

コーク・ラ・ロックは、「ユー・ロック・アンド・ユー・ドント・ストップ」「ロックオン、マイ・メロー」といった決めゼリフを繰り返し、ハークもマイクを握っていろんなフレーズを言っていた。

ハークが提示した音楽の価値観にサウス・ブロンクスで育ったヤツらが集まり、その共通意識(言葉遣いや服のスタイルなど)のすべての要素が「文化」となって、その周りに構築されていったのさ。

関連記事:絶対に外せない! オールドスクールDJ 16人:DJレッド・アラートが選ぶ

クール・ハークのプレイリスト

Michael Viner’s Incredible Bongo Band / Bongo Rock (1973)

Michael Viner’s Incredible Bongo Band / Bongo Rock (1973)
via. Discogs

クールハークがパーティー用にセレクトした曲の一覧。当時ヒットチャートの上位に登場したブラック・ミュージックやディスコ・サウンドとは一線を画す、ブロンクスのBボーイBガールが踊れることを重視した選曲は、ハークがプレイしたことでオールドスクール・ヒップホップの古典となりました。

  • Babe Ruth – The Mexican
  • Baby Huey – Listen To Me
  • Dennis Coffey and the Detroit Guitar Band – Scorpio
  • Dynamic Corvettes – Funky Music Is The Thing
  • Mandrill – Fencewalk
  • Marvin Gaye – “T” Plays It Cool
  • James Brown – Get on the Good Foot
  • James Brown – Give It Up or Turnit a Loose
  • Johnny Pate ‎– Shaft In Africa
  • Rare Earth – Get Ready
  • The Hues Corporation ‎– Rock The Boat
  • The Incredible Bongo Band – Apache
  • The Incredible Bongo Band – Bongo Rock
  • The Isley Brothers – Get Into Something
  • The Jimmy Castor Bunch – It’s Just Begun
  • The Mohawks – The Champ
  • The Whole Darn Family ‎– Seven Minutes Of Funk
  • Yellow Sunshine – Yellow Sunshine

参照:The Big Payback: The History of the Business of Hip-Hop / The Anatomy of the 1973 Party : Rock The Bells / Ego Trip’s Book of Rap Lists / Groove Music: The Art and Culture of the Hip-Hop D.J. / Hip-Hop Evolution : Netflix / The Village Voice / New York Post

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DJ Kool Herc
via. Netflix

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