
JDL of the Cold Crush Brothers at Harlem World (ca.1982-1983)
via. Joe Conzo
俺たちはレコーディング期間中、その音源をほぼ誰にも聴かせることはなかった。なぜなら、この作品はとても実験的なものだったからだ。
COLD CRUSH BROS. DISCOGRAPHY bY HUTMAKER JDL : The Foundation
1983年タフ・シティ・レコードからコールド・クラッシュ・ブラザーズのセカンドシングルとしてリリースされた「パンク・ロック・ラップ」。その誕生の背景についてグループのMC、JDL氏がヒップホップ系メディアFoundationのインタビューで語っています。
パンク・ロック・ラップをやろうというアイデアが出てきた頃、ちょうど俺たちはタフ・シティ・レコードと契約したばかりだった。タフ・シティはCBSレコードと配給契約を結んでいた。当初は自分たちが得意とするハードコアな超ヤバいルーティンをやるつもりだった。
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しかしその一方で俺たちはヴィレッジのパンク・ロック・クラブに頻繁に通っていたんだ。例えば、ダンステリア、クラブ・ネグリル、ライムライト、ザ・ワールド、S.O.B.s、ペパーミント・ラウンジ、エリア、マッド・クラブ、アース・エッジ、ザ・リッツみたいな。

JDL of the Cold Crush Brothers at Club Negril (1981)
via. Joe Conzo
クラブに行くと、V.I.P.待遇でスピン(プレイ)をしたり、マイクを握ったりするんだ。やがて何人かのプロモーターが俺らをクラブにブッキングしてくれるようになった。ブレイクダンサーやグラフィティ・アーティストも一緒だった。彼らはその才能を「キャンバス」に表現していた。

Shack Crew with Cold Crush Brothers at Club Negril (1981)
via. Joe Conzo
さらに当時、ヒップホップ界とパンクロック界とは互いに交流を図っていた。と言うのも、ヒップホップの文化もパンクの文化も自由奔放だった。社会的な基準と呼ばれるものに従わず、好きな服を着て踊り、自分たちのやりたいようにやった。だから、パンクロックはヒップホップの「いとこ」と言えるし、その逆もまた然り。
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俺たちは、スパイク(スタッズ)とチェーンのついたレザーを身につけたり、編み込んだ髪を頭の真ん中に持ってきてヘアカラー・スプレーで染めたり、イカしたブーツを履いてアクセサリーをつけまくる、なんて格好をしたこともあった。

JDL of the Cold Crush Brothers at Disco Fever (ca.1983-1984)
via. Joe Conzo
(音楽的な)ギャップはすでに埋まっていて、ブロンクスのパーティーでは「ナンバーズ」「セイム・アズ・イット・エバー・ワズ」「キャバーン」「ヘイ・ミッキー」「ドミナ・トリックス・スリープ・トゥナイト」といったレコードを普通にプレイしていた。

「ナンバーズ」
Numbers – Kraftwerk (Computer World 1981)
via. Discogs

「セイム・アズ・イット・エバー・ワズ」
Once in a Lifetime – Talking Heads (Remain in Light 1981)
via. Discogs

「キャバーン」
Cavern – Liquid Liquid (Optimo 1982)
via. Discogs

「ヘイ・ミッキー」
Mickey – Toni Basil (Word of Mouth 1981)
via. Discogs

「ドミナ・トリックス・スリープ・トゥナイト」
Dominatrix – The Dominatrix Sleeps Tonight (1984)
via. Discogs
そんな背景があって、タフシティのCEOと俺たちとの会議では楽曲制作の話が持ち上がり、この曲に取り掛かることになった。
メロディーはケイ・ジーが考えた。キャズが歌詞を書き、チェイスがトラックを録音した。俺たちはレコーディング期間中、その音源をほぼ誰にも聴かせることはなかった。なぜなら、この作品はとても実験的なものだったからだ。
レコーディングが終了すると、3つのレギュラー・ミックスとボーナス・トラックが1つが完成した。ボーナス・トラックはボコーダー・シンセで俺らの声を強調したことで、まるで別の曲のような仕上がりになったよ。

Punk Rock Rap – The Cold Crush Brothers (1983)
via. Discogs
![Punk Rock Rap [Side B] – The Cold Crush Brothers (1983)](http://oldschoolhiphop.suniken.com/wp-content/uploads/2022/08/punk-rock-rap-the-cold-crush-brothers-1983-B.png)
Punk Rock Rap [Side B] – The Cold Crush Brothers (1983)
via. Discogs
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ちなみに、ダグ・E・フレッシュの「ザ・ショウ」に登場する「oh my God」は、パンク・ロック・ラップの冒頭部分をサンプリングしたものだ。声を担当したのはキャズの当時の彼女。実際ダグは自分のライブで1曲フルで歌うほど、この曲をとても気に入っていた。
俺らはこの曲に満足していたし、ヒップホップやパンクロックの世界がこの曲をどう受け入れてくれるのか知りたかったんだ。個人的には発売した全シングルの中で一番気に入っている。アップテンポなビートがいい。
曲の最後の2分間、ステージではクレイジーになってフリースタイルしまくるんだ。

JDL of the Cold Crush Brothers at Harlem World (ca.1982-1983)
via. Joe Conzo