
Sugarhill Gang / Rapper’s Delight (1979)
via. Discogs
世界で初めて「ラッパーズ・ディライト」が公開されたのがフィラデルフィアのラジオ局で、俺が8歳の時だった。
祖母が使っていたJVC製の時計ラジオから、大量のパーカッションとラテン・ピアノのシンコペーションが聞こえてきた。
それはシックの「グッドタイムス」みたいだったし、いい意味での「コピー」だった。
その瞬間に自分の中の音楽の常識が、すごい音を立てて壊れていった。
Questlove Picks Rap Favorites- Top 50 Hip-Hop Songs of All Time – Rolling Stone
DJとしても活躍するルーツのフロントマン、クエストラブ氏が選ぶヒップホップ名曲ランキング。米音楽メディア「Rolling Stone」の特集記事より。
選曲の「縛り」として、初めてヒップホップに触れた1979年から自身のグループ「ルーツ」がメジャーデビューした1995年までに焦点をあて、プロとしてヒップホップに関わる以前に影響を受けたという50曲を厳選し、順位付けしています。

Questlove Picks Rap Favorites- Top 50 Hip-Hop Songs of All Time
via. Rolling Stone
トップ10は以下の通り。
- Public Enemy, “Rebel Without a Pause” (1987)
- Sugarhill Gang, “Rapper’s Delight” (1979)
- N.W.A, “Fuck Tha Police” (1989)
- De La Soul feat. A Tribe Called Quest, Jungle Brothers, Queen Latifah and Monie Love, “Buddy” (1989)
- Grandmaster Flash & the Furious Five, “The Message” (1982)
- Run-DMC, “My Adidas”/”Peter Piper” (1986)
- Beastie Boys, “Hold It Now, Hit It” (1986)
- Public Enemy, “Fight the Power” (1989)
- Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, “The Show”/”La Di Da Di” (1985)
- Grandmaster Flash and the Furious Five, “The Adventures of Grandmaster Flash on the Wheels of Steel” (1981)
ここではクエストラブ氏が選んだ50曲の中から、1979年から1986年の間にリリースされたヒップホップ・クラシック全14曲を紹介します。
関連記事:史上最も偉大なヒップホップ・ソング 12曲 [1979年 – 1986年編]:ローリングストーン誌が選ぶ
- Trouble Funk, “Pump Me Up” (1981)
- Ultramagnetic MCs, “Ego Trippin'” (1986)
- UTFO, “Roxanne, Roxanne” (1984)
- Grandmaster & Melle Mel, “White Lines” (1983)
- Schoolly D, “P.S.K. What Does It Mean?” (1985)
- Afrika Bambaataa and the Soul Sonic Force, “Planet Rock” (1982)
- Run-DMC, “Rock Box” (1984)
- Eric B. and Rakim, “Eric B is President”/”My Melody” (1986)
- Grandmaster Flash and the Furious Five, “The Adventures of Grandmaster Flash on the Wheels of Steel” (1981)
- Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, “The Show”/”La Di Da Di” (1985)
- Beastie Boys, “Hold It Now, Hit It” (1986)
- Run-DMC, “My Adidas”/”Peter Piper” (1986)
- Grandmaster Flash & the Furious Five, “The Message” (1982)
- Sugarhill Gang, “Rapper’s Delight” (1979)
Trouble Funk, “Pump Me Up” (1981)

Trouble Funk – Pump Me Up (1981)
via. Hip Hop Be Bop
トラブル・ファンク「パンプ・ミー・アップ」(1981年)
ゴーゴー・ミュージックというジャンルと同様に、このリストの中で最も見落とされ、過小評価されている曲。
1981年の夏、誰もがこのレコードをかけまくった。DJたちは、曲のイントロを切り取っただけの12インチ・シングルを作ったほどだ。
関連記事:トラブル・ファンク「パンプ・ミー・アップ」最も過小評価されたゴーゴーの起源:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Ultramagnetic MCs, “Ego Trippin'” (1986)

Ultramagnetic MCs – Ego Trippin’ (1986)
via. Discogs
ウルトラマグネティック・MCズ「エゴ・トリッピン」(1986年)
「クール・キースにはあまり興味がない」という、ちょっとキレ気味なRun-DMCのインタビューを聞いたことがあるんだけれど、長い間の疑問だった。キースの革新的でオタクなフローの魅力に、誰が抵抗できただろう。
その後、振り出しに戻ってみてピンときた。
「エゴ・トリッピン」は、ブレイクビーツのクラシックとして「シンセティック・サブスティチューション」が初めて登場した曲として知られている。しかし、この曲のイケてる雰囲気が問題の核心から目をそらしている。
彼らはRun-DMCのポジションを狙っていたんだ。
UTFO, “Roxanne, Roxanne” (1984)

UTFO – Roxanne, Roxanne (1984)
via. Discogs
UTFO「ロクサーヌ、ロクサーヌ」(1984年)
ヒップホップの歴史研究家は、この曲が多くのアンサーソングを生み出した「種」であることに注目しがちだ。
しかし「ロクサーヌ、ロクサーヌ」が、ブレイクビーツをサンプリングした最初のヒップホップ・ソングである、という指摘を聞いたことがない。
ちなみに、サンプリングソースは、ビリー・スクワイアの「ビッグ・ビート」だ。
Grandmaster & Melle Mel, “White Lines” (1983)

Grandmaster & Melle Mel – White Lines (Don’t Don’t Do It) (1983)
via. Discogs
グランドマスター & メリー・メル「ホワイト・ラインズ」(1983年)
無害で、趣味として楽しむ「増強剤」ぐらいにしか思っていなかった第1世代のラッパー達(’72~’82年)は、その失敗を目の当たりにしていた。1980年代半ばには、破滅という選択肢しかなかった。
後になって知ったのだが、メリー・メルはボーカルをしながらも「白い狂気」に巻き込まれていた。それは俺からすると、一番クレイジーなことだ。コカインはとんでもない麻薬だ。
Schoolly D, “P.S.K. What Does It Mean?” (1985)

Schoolly D – P.S.K.-What Does It Mean? (1985)
via. Discogs
スクーリー・D「P.S.K.ホワット・ダズ・イット・ミーン?」(1985年)
前代未聞だ。絶対に前例がない。
このシングルがあったからこそ、アルバム「ライセンス・トゥ・イル」が生まれた。ビースティは、スクーリー・Dが作った「ブルースの定型句」を踏襲したのさ。
関連記事:スクーリー・D「P.S.K.」があったからこそ「ライセンス・トゥ・イル」が生まれた:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Afrika Bambaataa and the Soul Sonic Force, “Planet Rock” (1982)

Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force – Planet Rock (1982)
via. Discogs
アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォース「プラネット・ロック」(1982年)
ローラースケート・パーティーに出席してすべてが変わった。ショーンの兄ちゃんがDJをやっていた。
そこで初めて、今まで一度も聞いたことがなかったドラムマシン「808」の音を聞いた。これから11歳になろうとする少年の、すべてを圧倒した。
俺はブースに駆け込み「曲の題名を教えて」と頼んだ。
関連記事:「プラネット・ロック」の思い出、アーバン・ラジオとクラフトワーク:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Run-DMC, “Rock Box” (1984)

Run-D.M.C. – Rock Box (1984)
via. Discogs
Run-DMC「ロック・ボックス」(1984年)
「ロック・ボックス」がなければ、歴史上重要な「ウォーク・ディス・ウェイ」は実現しなかっただろう。
その重要性は、ただロックとヒップホップが、うまい具合に融合されたという単純な意味だけではない。
関連記事:「ロック・ボックス」がなければ「ウォーク・ディス・ウェイ」は誕生しなかった:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Eric B. and Rakim, “Eric B is President”/”My Melody” (1986)

Eric B. Featuring Rakim – Eric B. Is President / My Melody (1986)
via. Discogs
エリックB. & ラキム「エリックB・イズ・プレジデント/マイ・メロディ」(1986年)
もしもヒップホップの歴史において、ヒップホップがポストモダンの時代に突入した瞬間を決めるとしたら、この曲を選ばなければならないだろう。
ラキムの歌い方は飾り気がなく厳格。ミンストレルではなくポーカーフェイス。
ヒップホップの中で、最も受け入れられるのが難しかった曲のひとつだ。
関連記事:「エリックB・イズ・プレジデント」ヒップホップがアートになった瞬間:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Grandmaster Flash and the Furious Five, “The Adventures of Grandmaster Flash on the Wheels of Steel” (1981)

Grandmaster Flash And The Furious Five – The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel (1981)
via. Discogs
グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ「ジ・アドヴェンチャー・オブ・グランドマスター・フラッシュ・オン・ザ・ホイールズ・オブ・スティール」(1981年)
「ホイールズ・オブ・スティール」は、カッティングとスクラッチが初めてレコードになった最初の一例だ。ブロンクスの夜がどんなものであったか5分間の中に刻まれている。1979年にヒップホップがスタジオ入りし始めると、ブレイクを再現するために生バンドが呼ばれるようになったことを思い出す。当時はまだターンテーブルの技術がスタジオで使用するためのレベルに達していなかった。
関連記事:スクラッチが初めてレコードに登場した名作「ホイールズ・オブ・スティール」グランドマスター・フラッシュ:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Doug E. Fresh and the Get Fresh Crew, “The Show”/”La Di Da Di” (1985)

Doug E. Fresh and The Get Fresh Crew – The Show (1985)
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Doug E. Fresh & M.C. Ricky D – La-Di-Da-Di (1985)
via. Discogs
ダグ・E.フレッシュ&ザ・ゲット・フレッシュ・クルー「ザ・ショウ/ラ・ディ・ダ・ディ」
単刀直入に言うと、スリック・リックの声は、ヒップホップ・カルチャーから誕生した最も美しいものだ。彼は俺たちにとってのビル・コスビーであり、優れたストーリーテラーであり救世主だ。誤解しないでほしいのは、決してダグが下手だということではない。
関連記事:ラ・ディ・ダ・ディの衝撃:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Beastie Boys, “Hold It Now, Hit It” (1986)

Beastie Boys – Hold It, Now Hit It (1986)
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ビースティ・ボーイズ「ホールド・イット・ナウ、ヒット・イット」(1986年)
「ホールド・イット」の12インチ・シングルは、初期のテスト・プレスでは、「アカプルコ」バージョンがA面に、フルアルバム・バージョンがB面に配置されていた。
DJ達はすぐにヴォーカルのみのバージョンをかけたが、このことが魔法のように効果を発揮した。
コーラスとブリッジはそのままだったが、カーティス・ブロウ「クリスマス・ラッピン」の「ホールド・イット・ナウ」のフレーズや、クール&ザ・ギャング「ファンキー・スタッフ」のホーンのイントロが、急斜面を滑降するように迫ってくる。
この部分がどれだけ刺激的に聞こえたか言葉では説明できない。
Run-DMC, “My Adidas”/”Peter Piper” (1986)

Run-D.M.C. – My Adidas / Peter Piper (1986)
via. Discogs
Run-DMC 「マイ・アディダス/ピーター・パイパー」
彼らはこれまでとは違ったタイプのリーダーだった。それは彼らが「人々によって選ばれた」ということだ。
(最も重要なことだが)彼らは人々と同じような格好をしたまさに人々の「代表」だった。
ラッセル・シモンズが目にしたのは、3万人以上のオーディエンスたちがアディダスのシェルトゥを高々とあげる光景。そしてコンサートに出席したアディダス社の幹部たちが、それを目の当たりにしたことだ。
この出来事はヒップホップの転換点になった。
関連記事:「マイ・アディダス」ヒップホップの転換点となった名曲:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景
Grandmaster Flash & the Furious Five, “The Message” (1982)

Grandmaster Flash & The Furious Five / The Message (1982)
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グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ「ザ・メッセージ(1982年)
1982年6月、ラジオで「ザ・メッセージ」が初オンエアされた週、(俺も含めて)世界中が凍りついてしまった。
ヒップホップといえば、かつては「たわいないパーティーのネタ」とか「一時的なブーム」と思われていた。しかしこの曲はそれを180度一変させた。
「ザ・メッセージ」は、ヒップホップが社会や政治を変えることのできるツールであることを証明したんだ。
Sugarhill Gang, “Rapper’s Delight” (1979)

Sugarhill Gang / Rapper’s Delight (1979)
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シュガーヒル・ギャング「ラッパーズ・ディライト」(1979年)
世界で初めて「ラッパーズ・ディライト」が公開されたのがフィラデルフィアのラジオ局で、俺が8歳の時だった。
祖母のJVC製の時計ラジオから、大量のパーカッションとラテン・ピアノのシンコペーションが鳴り出した。それはシックの「グッドタイムス」みたいだったし、いい意味での「コピー」だった。
その瞬間に自分の中の音楽の常識が、すごい音を立てて壊れていった。
関連記事:「ラッパーズ・ディライト」と出会った少年が学校でスーパースターになった話:クエストラブが語るヒップホップ・クラシックの背景