史上初のラップバトルを聴いてみた:コールドクラッシュ VS ファンタスティック [1981年7月3日 ハーレムワールド]

Coldcrush VS Fantastic at Harlem World (1981/07/03)

Coldcrush VS Fantastic at Harlem World (1981/07/03)
via.boo-hooray

その日ハーレムワールドでは、(コールドクラッシュ4としても知られる)コールドクラッシュ・ブラザーズとファンタスティック5が、賞金1000ドルのバトルを繰り広げました。後にメインストリームで認知されるようになったバトルのように、ベテランと新たな潮流が相乗効果を生んだ歴史的な対決となりました。

Hear One Of The Earliest Rap Battles Ever Recorded From 1981 (Audio) : AFH

ヒップホップ系メディアAFHに掲載された特集記事から。

1981年7月3日にニューヨークのナイトクラブ、ハーレムワールドで開催されたイベント「スーパー・ショウダウン:コールドクラッシュ VS ファンタスティック」。音源が残る最古のラップバトルとして知られるこのライブについて、臨場感のある分析を行っています。

1981年に録音された最古のラップバトルを聴く

ラップバトルは、ポップカルチャーの象徴となりました。2人のMC(またはそれ以上)が競い合うこのスポーツは、ラップという芸術が前面に出てきたときからヒップホップ・カルチャーを刺激してきました。

最も成功し高く評価されているMCの中には、バトルを通じてキャリアをスタートさせ、名声や富を得た後も、闘争心をもってその遺産を際立たせてきました。

反面、NBAに対してのストリートバスケのようにバトルラップのスター(およびリーグ)が存在しながらも、いわゆるレコーディングをせずに、その功績を残すことのなかった者たちも存在します。

ヒップホップ初期のラップバトルはキーボードの伴奏もつかず、レコード盤にさえもならなかった。その代わり、MC達はステージ上で面と向かって言葉を交わしバトルを繰り広げたのです。

1981年7月3日はバトル・ラップの歴史において、極めて重要な瞬間であったと言えるでしょう。DJやブレイカー、グラフィティ・ライターと同様に、MCも1970年代からバトルを続けていました。また一方、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」やカーティス・ブロウの「ザ・ブレイク」などのヒット曲をきっかけに、ラップ・ミュージックは沸点に達していたのです。

かつてストリートや公園、公民館、ニューヨークのクラブを舞台に、自分が1番だと自慢すること(bragging rights)を目的に行われていたことが、今では大規模なイベントになっています。

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1981年7月5日、ハーレムワールドにて賞金1000ドルのラップバトル開催

Coldcrush VS Fantastic at Harlem World (1981/07/03)

当時のパーティー告知フライヤー
Coldcrush VS Fantastic at Harlem World (1981/07/03)
via.boo-hooray

その日ハーレムワールドでは、(コールドクラッシュ4としても知られる)コールドクラッシュ・ブラザーズとファンタスティック5が、賞金1000ドルのバトルを繰り広げました。

後にメインストリームで認知されるようになったバトル(KRS・ワン VS グランドマスター・メリーメル、LL・クール・J VS クール・モー・ディー、ネリー VS KRS、キャニバス VS LL、ブギーマン VS マスタ・エース)のように、ベテランと新たな潮流が相乗効果を生んだ歴史的な対決となりました。

スクラッチの発明者として知られるDJグランド・ウィザード・セオドア率いるファンタスティック・5には、DJミーン・ジーンやDJコルディオをはじめ、MCスマイリー、ケヴィ・ケヴ、ビジー・ビー、ドット・ア・ロック、マスター・ロブ、ウィッパー・ウィップらが参加していました。

Grandwizard Theodore & the Fantastic Five

ファンタスティック・5
(中央前列)グランド・ウィザード・セオドア、(後列左から)ケヴィ・ケヴ、ウィッパー・ウィップ、マスター・ロブ、ドット・ア・ロック、リブ・ディー
via Hip Hop Hall of Fame

何人かのメンバーはL・ブラザーズとしても知られていたこのクルーは、(コールドクラッシュより)年齢的にも上という印象。1970年代ヒップホップにおける極めて重要人物たちであり、サウンド的にも定評がありました。

対するコールド・クラッシュは当時、DJのチャーリー・チェイスとトニー・トーン、MCのグランドマスター・キャズ、オールマイティ・ケイ・ジー、JDL、イージーADをフィーチャーした「新顔」でした。

The Cold Crush Brothers on Prospect Avenue, in the South Bronx, in 1981

コールドクラッシュ・ブラザーズ
(手前から)チャーリー・チェイス、トニー・トーン、グランドマスター・キャズ、JDL、イージーAD、オールマイティ・ケイ・ジー
via Joe Conzo

また、キャズはシュガーヒル・ギャングのデビュー曲の作者でもありました(曲中のビッグ・バンク・ハンクの自己紹介ではキャズの別名カサノバ・フライを名乗っています)しかもグループの出身はブロンクス。彼らのステージの演出から、ニューヨークではバッドボーイのイメージが定着し始めていました。

またコールドクラッシュに在籍していたドットとウィップは(このバトル前に)ファンタスティックに移籍。それはお金だけでなく、誇りと栄光、そして覇権のためでした。

関連記事:Grandmaster Caz(グランドマスター・キャズ)

先攻、コールドクラッシュ

Cold Crush Brothers at Harlem World (1981/07/03)

Cold Crush Brothers at Harlem World (1981/07/03)
via.Joe Conzo

1981年の暑い夏、マフィア・スーツ姿でステージに立ったコールドクラッシュは、おもちゃの機関銃を手にしていました。これはコミックをテーマにした対戦相手への対抗策でした。

the Cold Crush Brothers pose in 1930s gangster disguise (1981/07/03)

ライブ本番前のコールドクラッシュ(1981年7月5日)
via.Joe Conzo

賞金をかけ、コールドクラッシュは最初の28分間ステージを揺るがします。一貫して非常に危険なグループであるように振る舞い、調和のとれたパフォーマンスで、リハーサルの成果を発揮。高度なリリックとメロディーを披露し、自由奔放に観客と交流していきます。

(後にMFドゥームによって再評価されることになる)セローンの「ロケット・イン・ザ・ポケット」のドラム・ループにラップを乗せコールドクラッシュは攻めの姿勢に転じました。

Cerrone – Rocket In The Pocket (In Concert 1979)

Cerrone – Rocket In The Pocket (In Concert 1979)
via. Discogs

さらにラップ・クルーの叫びを合図に、コールドクラッシュが対戦相手に矛先を向けます。

「ファンタスティック、知れた名前らしいが大概にしろ。ラヴバグ・スタースキーやチーフロッカ・ビジー・ビーとなじみがあるのは知ってる。もう80年代なんだ、要するにこれからはコールドクラッシュに尽きるということだ。」アイスブレイク(出だし)の瞬間に観客が熱狂しているので、録音をよく聴いてみてください。

15分時点で(オールマイティ・)ケイ・ジーが言うには、ファンタスティックのメンバー2人なら俺1人で相手にできると豪語。その日は多くのバトルとは異なりライミングは絶えることがなく、ジャブの合間に群衆を翻弄しています。

Almighty Kay Gee of the Cold Crush Brothers at Harlem World (1981)

ハーレムワールドのオールマイティ・ケイ・ジー(1981年7月3日)
via Joe Conzo

DJがMCに提供するブレイクも音楽に一貫性があり、ビリー・スクワイアーの「ビッグ・ビート」や、ビリー・ジョエルの「スティレット」などは、(その後)80年代後半のヒップホップ・レコードにサンプリングとして大量に登場するものです。

The Big Beat - Billy Squier (The Tale Of The Tape 1980)

Billy Squier – The Big Beat (The Tale Of The Tape 1980)
via. Discogs

Billy Joel - Stiletto (52nd Street 1978)

Billy Joel – Stiletto (52nd Street 1978)
via. Discogs

関連記事:Charlie Chase(チャーリー・チェイス)

またMCにおいてはコールド・クラッシュが(その後のグループ)、デ・ラ・ソウルや、フリースタイル・フェローシップ、ジュラシック・5などに与えた影響を聴くことができます。

後攻、ファンタスティック

The Fantastic Romantic 5 at Harlem World (1981/07/03)

The Fantastic Romantic 5 at Harlem World (1981/07/03)
via.Joe Conzo

(ザ・ファンタスティック・ロマンティック・5 MCsの別名でも知られる)ファンタスティックのメンバーは、30分過ぎにステージに登場。ディスコの影響を受けたサウンドとスタイルで、MC達は独自のルーティンとハーモニーを披露。ファンタスティックはパフォーマンス開始の数分間で熟練したステージングを披露、その存在感を示しました。

さらに登場5分後、ファンタスティックはコールドクラッシュに対して「見栄を張っている」と非難。この後の展開は相手側の挑発によるものだ、と警告しました。「コールドクラッシュは、そろそろ帰らなきゃな」「俺たちこそナンバーワン、お前たちは始めたばかりなんだから」とベテラン勢はたしなめます。

この日のセットでは(チャーリー・チェイスとのバトルに対し)DJセオドアがいくつものターンテーブル・スキルを投入。多角的なバトルが展開されました。またセオドアのビートのチョイスは荒々しく厳(いか)つく、数々のレコードから選り抜かれたハードなドラムは、後のラップ・ジョイント(パーティ)の定番として登場することになります。

Commodores - The Assembly Line (Machine Gun 1974)

Commodores – The Assembly Line (Machine Gun 1974)
via. Discogs

Eagles – Those Shoes (The Long Run 1979)

Eagles – Those Shoes (The Long Run 1979)
via. Discogs

記録によると、この1981年のバトルで、ジャッジはファンタスティック5を勝者に決定。(勝敗は最終的な観客の歓声で決定)

しかし現代のバトルと同じように、ストリートにはストリートの言い分があり、それが伝説的な論争を生みました。ライブ録音はテープの交換によって広まり、ハーレムワールドから何千キロも離れたファンからも、様々な意見や分析結果が寄せられることになります。

1990年代に愛されたレコード、たとえばブラッカリシャスの「スワン・レイク」や、O.C. & バンピー・ナックルズの「ウィン・ザ・G」などは、1981年に繰り広げられたこの束の間のバトルに深い影響を受けています。

この日のバトルがきっかけで、コールドクラッシュ・ブラザーズはエピック・レコードとシングルレコードの契約を結ぶことに。1982年にリリースされた人気シングル「ウィークエンド」によってレコードビジネスに参入することになります。

さらに両グループのメンバーの多くは、1983年の長編映画「ワイルド・スタイル」や、2000年代のドキュメンタリー映画「スクラッチ」に出演しています。

Busy Bee in Wild Style (1982)

映画「ワイルド・スタイル」のビジー・ビー(1981年)
via. Charlie Ahearn

ファンタスティック・ファイブでのバトルをきっかけにブレイクを果たしたビジー・ビーは、もうひとつの歴史的なラップバトルを開催。しかし同年12月、同じ会場で開かれたこのバトルで、ビジーは、ザ・トレチャラス・スリーで知られるクール・モー・ディーに敗退。

ビジーを破ったモー・ディーは1980年代にラップスターとしてブレイクし、その後LLクールJとバトルを繰り広げていきます。

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