
THE SONGS AND TECHNIQUE OF FAMED DJ GRANDMASTER FLASH
via. polygraph
グランドマスター・フラッシュの存在はヒップホップ誕生のストーリーでもあります。彼の最も有名な作品は典型的なオールドスクールであり、1980年代初頭のヒップホップのベストリストには必ずと言っていいほど登場します。ですから25年以上も経った今でも、彼が有名であることは何も驚くことではありません。
THE SONGS AND TECHNIQUE OF FAMED DJ GRANDMASTER FLASH : polygraph
Netflix系メディア、Polygraphに掲載されたグランドマスター・フラッシュの特集記事から。
しかし、フラッシュが正当に評価されるべきその業績は、史上初のヒップホップトラックがリリースされる4年前の、1975年に始まったとするべきです。
グランドマスターフラッシュは、すでにヒップホップでした。それはヴェルヴェット・アンダーグラウンドがパンクであったように、あるいはキング・タビーがダブであり、ワイリーがグライムであったように。彼らはいわゆる先駆者で、名前が付く前の音楽を作っていた人たちです。
これはヒップホップの誕生にフラッシュがどれだけ貢献したかという物語です。完璧なビートループ、スクラッチの発明、さらに彼のセットリストの楽曲が、どのようにサンプリングの基礎となっていったのか掘り下げていきましょう。
グランドマスター・フラッシュの革命的なテクニック

Young Grandmaster Flash (date unknown)
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ヒップホップは1970年代、焼け野原と化したニューヨーク、サウス・ブロンクス地区で誕生しました。ギャング達によって支配され、ドラッグが蔓延していたサウスブロンクスでは、同時に創造的なエネルギーで爆発していました。ヒップホップはそんな環境の代弁者でした。
キッズたちは自分たちのためだけの秘密のカルチャーを受け入れ、暑い夏の夜を踊り明かしました。彼らは地下鉄の車両にスプレーで絵を描き、韻を踏み、パーティーを開きました。グランドマスター・フラッシュもそんなキッズの一人であり、彼が情熱を注いだのはDJでした。
フラッシュの父親は膨大なレコード・コレクションを所有していました。そして親が外出すると、すかさずレコードを聴くのが少年時代のフラッシュの日課でした。

フラッシュが幼少の頃の愛聴曲、Be My Baby (The Ronettes 1963)
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さらに1970年代半ばには、伝説のDJ、クール・ハークが開催するパーティに通うようになりました。廃墟や公園で開催されるパーティーでは、街灯から電気を引いた巨大なステレオシステムから音楽が流れていました。ブロンクスのティーンエイジャーたちは、一夜限りのダンスを楽しむために集まって来るのです。
ブレイクダンスの輪は、パーティーの波によって拡大したり縮小したりしました。ハークはハードファンクのレコードをかけ、「ブレイク」と呼ばれる、曲中の特定の部分だけをプレイすることで知られていました。ブレイクとは楽器が止まり、ドラムのフィルやベースラインだけが残った部分です。
フラッシュは、誰もやったことのないことをやって、他のDJと一線を画しました。それはレコードに直接「触れる」ということでした

Grandmaster Flash (Wild Style 1983)
via. Submarine Entertainment

via. Wild Style 1983

via. Wild Style 1983
ハークは素晴らしいパーティーを開き、いつも観客を揺り動かしていました。しかし、いつも曲と曲の合間に「時間のずれ」があると、グランドマスター・フラッシュは気づきました。
曲が終わって、次に微妙にずれたビートで曲が始まるとダンスのミスステップに繋がる。フラッシュは、パーティーの勢いが「ゆるむ」原因がそこにあると考え、曲のエネルギーが途切れないようにしたいと考えました。
そこでフラッシュは、曲全体をリズムに合わせてプレイすることを目標とし、その解決策によってDJプレイを一変させます。フラッシュはレコード盤に指を置き、ブレイクが入るタイミングを完全にコントロール。1つのビートも逃さずに繋げることができるようになったのです。
ブレイクダンサーが踊りMCが韻を紡ぐために必要な舞台、「継ぎ目のない音響」がついに完成です。噂は広まり、パーティーの規模も大きくなり、ヒップホップは大きな成長を遂げていきました。
彼はまた、レコードに触れるとターンテーブルが音を立て、レコードを巻き戻すとスクラッチと呼ばれるノイズが発生することにも気づきました。フラッシュはこの効果を、DJセットにおけるもうひとつのリズムの要素として採用し、パーティーをまったく新しい次元に引き上げました。
関連記事:グランドマスター・フラッシュはいかにして科学を駆使してDJテクニックを開拓したのか?
スクラッチの実践

Grandmaster Flash And The Furious Five – The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel (1981)
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ターンテーブルとミキサーのみを楽器として使用し、1人のミュージシャンによって録音された初の作品「ホイールズ・オブ・スティール」(1981年)。このレコードのリリースによって、グランドマスター・フラッシュのDJとしてのスキルが初めて世界に知られることになります。
ここでは楽曲を個々のサンプリングに分解。グランドマスター・フラッシュがどのようにして、異なる10曲から断片をつなぎ合わせて1つの音楽を作り上げたのか見てみましょう。
- Monster Jam – Spoonie Gee Meets The Sequence (1980)
- Rapture – Blondie (1980)
- Apache – Michael Viner’s Incredible Bongo Band (1973)
- Another One Bites the Dust – Queen (1980)
- Good Times – Chic (1979)
- Freedom – Grandmaster Flash And The Furious 5 (1980)
- Life Story – The Hellers (1968)
- The Birthday Party – Grandmaster Flash And The Furious Five (1981)
- 8th Wonder – The Sugarhill Gang (1980)
- The Decoys Of Ming The Merciless – The Official Adventures Of Flash Gordon (1966)
関連記事:「ホイールズ・オブ・スティール」を知るための9つのヒント:グランドマスター・フラッシュのマッシュアップ
グランドマスター・フラッシュが聴いた曲

Hot Pants (She Got to Use What She Got to Get What She Wants) – James Brown (Hot Pants 1971)
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フラッシュがクール・ハークのパーティーで聴いた曲や、子供の頃に聴いた曲は、フラッシュのDJキャリアにおいてセットリストの基礎となりました。その後、数十年にわたりサンプルの定番となるこれらの楽曲を徹底的にチェックしてみましょう。
- I’m Walkin’ – Fats Domino (1957)
- Be My Baby – The Ronettes (1963)
- Hyperbolicsyllabicsesquedalymistic – Isaac Hayes (1969)
- The Meters – Cissy Strut -The Meters (1969)
- Hot Pants – James Brown (1971)
- Listen To Me – Baby Huey (1971)
- I Know you got Soul – Bobby Byrd (1971)
- Bra – Cymande (1972)
- It’s Just Begun – The Jimmy Castor Bunch (1972)
- The Mexican – Babe Ruth (1972)
- Apache – Incredible Bongo Band (1973)
- Do You Like It – B.T. Express (1974)
- Take Me To The Mardi Gras – Bob James (1975)
- I Wouldn’t Change A Thing – Coke Escovedo (1976)
- Seven Minutes of Funk – The Whole Darn Family (1976)
- I Can’t Stop – John Davis & The Monster Orchestra (1976)
- The Fruit Song – Jeannie Reynolds (1976)
- Johnny The Fox Meets Jimmy The Weed – Thin Lizzy (1976)
- Another One Bites the Dust – Queen (1980)
- Genius of Love – Tom Tom Club (1981)
グランドマスター・フラッシュが残したもの

Think (About It) – Lyn Collins (1972)
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フラッシュの影響は単なる逸話的なものばかりではありません。彼がDJセットで使用した曲のいくつかは、今では「ヒップホップで最もサンプリングされた100曲」の中にあり、このジャンルに彼が与えた影響の証となっています。(データはwhosampled.comより)

The 100 Most Sampled Songs in Music
via. polygraph
The 100 Most Sampled Songs in Music : polygraph
- Think (About It) – Lyn Collins
GMF(グランドマスター・フラッシュ)がこの曲をサンプリングしたのは4人目- Apache – Incredible Bongo Band
GMFのサンプリングは2人目- Top Billin’ – Audio Two
GMFのサンプリングは5人目- Christmas Rappin’ – Kurtis Blow
GMFのサンプリングは5人目- Good Times – Chic
GMFのサンプリングは8人目- Bounce Rock Skate Roll – Vaughan Mason and Crew
GMFのサンプリングは9人目- Ain’t We Funkin’ Now – The Brothers Johnson
GMFのサンプリングは1人目- Genius of Love – Tom Tom Club
GMFのサンプリングは5人目
グランドマスター・フラッシュは、ヒップホップにおける最も重要なサンプリングの多くを一般的になる前から使用していました。
彼がすでに頭角を現していた1987年にリン・コリンズの「シンク(アバウト・イット)」をサンプリングしていますが、「WhoSampled」によると、この曲を使用した4人目の人物がフラッシュだったと、それ後少なくとも1,553人が音楽作成ためにこの曲を拝借したということです。
グランドマスター・フラッシュが好んで使用したブレイクは彼の作品群に加わり、それによって彼はトレンドセッターであり続けました。
このインパクトはヒップホップの誕生におけるグランドマスター・フラッシュの役割を強調しています。彼は楽曲から最もダイナミックな部分、ブレイクをピックアップし、途切れることなく観客に提供。観客はそんな彼を崇拝しました。彼はレコードからレコードへ飛び移りながらオンタイムに進行するという困難なタスクを完璧にこなしたのです。
すると他のDJたちも彼をヒントに、彼のスタイルをそっくりそのままコピーし始め、フラッシュのスクラッチは一般的なDJテクニックとして定着していきます。やがて、どのパーティでもあのワイルドなスクラッチが流れるようになり、フラッシュとともにヒップホップは歴史にその名を刻むことになります。