
Grandmaster Caz
via. Joe Conzo
カサノバ・フライ名義でキャリアをスタート。DJディスコ・ウィズと最初のDJクルーのひとつ、マイティ・フォースを結成しました。
1970年代後半にはザ・コールド・クラッシュ・ブラザーズに参加。鮮やかなライムのスタイルは、ゴールデンエイジのヒップホップアーティストにも影響を与えました。
カサノバ・フライと「ラッパーズ・ディライト」

“The Mighty Force” Party Flyer (1978)
Grandmaster Casanova Fly, The Disco Wiz, DJ Mighty Mike & Female DJ Pam-Baa-Taa
via. @DJDiscoWiz
かつてDJカサノバ・フライとして知られていたグランドマスター・キャズは、DJディスコ・ウィズと一緒にマイクとターンテーブルを操り、(後に「コールド・クラッシュ・ブラザーズ」や「ファンタスティック・ファイブ」を結成することになる)ウィッパー・ウィップとドット・ア・ロックと共に「マイティ・フォース」というグループを結成しました。
ヒップホップ歴史書「Icons of Hip Hop: An Encyclopedia of the Movement, Music, and Culture」より。
キャズはこの時期、強力なライムや決まり文句(ルーティン)を次々と開発していきます。
そして、そのうちのいくつかは、シュガーヒル・ギャングのブレイクシングル「ラッパーズ・ディライト」に採用されることに。
(しかもそのセリフには、キャズのかつての名前をスペルで韻を踏んだ「I’m the C-A-S-A-N the O-V-A and the rest is F-L-Y」という自己紹介までも含まれていました)
話によると(後にシュガーヒル・ギャングのメンバーとなる)ビッグ・バンク・ハンクは、そもそもMCではありませんでした。

Big Bank Hank (Sugarhill Gang)
via. Michael Ochs / Getty
ピザ屋で働く彼のライムを聞いたことがきっかけで、シュガーヒル・レコードの代表シルビア・ロビンソンは、ハンクにレコーディングを持ちかけたといいます。
同時にハンクは、グランドマスター・キャズと彼のグループ「マイティ・フォース」のマネージャー兼プロモーターを務めていました。
当時のファンと同じように、ハンクはキャズのライムを良く知っていたうえに、プロモーターとしての特権がありました。
レコードが大ヒットするとは思いもよらなかったキャズは、自身のライムをまとめたメモを、ハンクに自由に使わせていたといいます。
結果「ラッパーズ・ディライト」はスマッシュヒットを記録。シュガーヒル・ギャングの知名度は、すぐに他のMCクルーを凌駕することになります。

Sugarhill Gang / Rapper’s Delight (Red label, 1st pressing 1979)
via. Discogs
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コールド・クラッシュ・ブラザーズへの参加と、キャズがヒップホップに与えた影響

Grandmaster Caz of the Cold Crush Brothers at Club Negril (1981)
via. Joe Conzo Jr. Archive
キャズのMCとしての影響力は、シュガーヒル・ギャングが彼の有名なライムを「借用」した、ということだけではありません。
Icons of Hip Hop: An Encyclopedia of the Movement, Music, and Culture
キャズはDJチャーリー・チェイスからの誘いにより、コールド・クラッシュに参加。
コールド・クラッシュ・ブラザーズ時代に彼が参加した作品では、華やかな言葉遊びの頂点を極め、周到に準備されたルーティーンを披露。MCの芸術性を追求し、グループを支えました。
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複雑に絡み合うMC同士のやりとりに加え、歌唱パートではメンバーがハーモニーを奏でる。
キャズはコールドクラッシュのメンバー、チャーリー・チェイス、DJトニー・トーン、イージーAD、オールマイティ・ケイ・ジー、ジェリー・ディー・ルイス(JDL)らと共に、グループの独自のスタイルを確立するのに貢献しました。
ライブパフォーマンスでのクオリティの高さは、ファンタスティック5のようなライバルクルーたちにとって、手ごわい挑戦者でもありました。
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機関銃のように早口で交差する彼らのライムは、ランDMCなどのダイナミックなルーティンに引き継がれ、同様にジュラシック5など、さらに後のグループにもそのスタイルは受け継がれています。

Cold Crush Brothers performing at Club Negril (1981)
(L to R) Almighty Kay Gee, Easy AD, JDL, and Grandmaster Caz
(in background) Charlie Chase / via. Joe Conzo Jr. Archive
もうひとりの「グランドマスター」

映画「ワイルドスタイル」の撮影でDJをするグランドマスター・キャズ
(デキシー・クラブ、ブロンクス 1981年)via. Martha Cooper
「俺はDJからスタートした。レコードのカットと、ライムを両方やったのは俺が最初だ。他のヤツらは、みんな(DJかMCか)どちらか一方を選んだのさ」
DJカサノバ・フライとしてキャリアをスタートし、後にグランドマスターを名乗るようになったいきさつを、グランドマスター・キャズは音楽誌「Vibe」1997年10月月号のインタビューで語っています。
もともと俺は「カサノバ・フライ」を名乗っていた。「グランドマスター」になったのは、その後だ。グランドマスターは名前じゃない、称号だ。
当時、グランドマスターと呼ばれていたのは2人だけだった。グランドマスター・フラワーズとグランドマスター・フラッシュだけだ。
ある夜、クラブでのことだ。レコードの「あちこち」をカットしていたら、当時パートナーだったDJ、ディスコ・ウィズが 「もっと速く! もっと速く!」と叫んだ。

ディスコ・ウィズ(中央)とキャズ(右)
Grandmaster Caz, DJ Disco Wiz & JDL (right-to-left) (1982)
via. Disco Wiz and powerHouse Books
俺がどんどん速くカットし続けると、オーディエンスはどんどん高まり、大盛り上がりとなった。
みんなは叫び始めた「グランドマスター! グランドマスター! グランドマスター!」その瞬間、俺は称号を獲得した。
ディスコグラフィ「シングル」

Grandmaster Caz & Chris Stein – Wild Style Theme Rap (1983)
via. Discogs
- Wild Style Theme Rap – Grandmaster Caz & Chris Stein (1983)
- Yvette / Mister Bill (1985)
- Count Basey – “Captain” Grandmaster Caz (1986)
ディスコグラフィ「コンピレーション」

Various – Wild Style (1983)
via. Discogs
- Various – Wild Style (1983)
グランドマスター・キャズに関する記事

コールドクラッシュのMCとして、伝説のラップバトルに出演するグランドマスター・キャズ
(VS ファンタスティック 1981年7月3日 ハーレムワールド)
via. Joe Conzo
グランドマスター・キャズが語るヒップホップとの出会い、ブロック・パーティーの思い出
名曲「ラッパーズ・ディライト」には、ゴーストライターがいた?
史上初のラップバトルを聴いてみた:コールドクラッシュ VS ファンタスティック [1981年7月3日 ハーレムワールド]
ラップバトル、コールドクラッシュ VS ファンタスティック:1981年7月3日ニューヨーク・ハーレムワールド [ビンテージ・フライヤー]
「パンク・ロック・ラップ 」:コールド・クラッシュ・ブラザーズ(1983年)
パンク・ロック・ラップ誕生の背景:JDL インタビュー [コールド・クラッシュ・ブラザーズ]
Grandmaster Flash(グランドマスター・フラッシュ)
Grandmaster Flowers(グランドマスター・フラワーズ)
Fab Five Freddy(ファブ・ファイブ・フレディー)