絶対に外せない! オールドスクールDJ 16人:DJレッド・アラートが選ぶ

Ego Trip’s Book of Rap Lists

via. Ego Trip’s Book of Rap Lists

ヒップホップ・メディア「Ego Trip」によるディスクガイド「Ego Trip’s Book of Rap Lists」に掲載された、「クールDJレッド・アラートが選ぶ、絶対不可欠なオールドスクールDJ(順不同)」より。

アフリカ・バンバータ率いるズールー・ネイションの重要メンバーである伝説の人物、クールDJレッド・アラートは、ニューヨークのブロックパーティーやクラブで活躍、輝かしいキャリアをスタートします。

その後、自身のグループ、ザ・ジャジー・ファイブ(ジャジー・センセーション)でのレコーディングに参加。

現在はゴッサム界隈(ニューヨーク)でラジオ界の主役として活躍中です。ラジオでのキャリアは17年目を迎え、現在はニューヨークのラジオ局「WQHT97.1FM」で毎日2つの番組を放送しています。

DJレッド・アラート氏が自身の回想を交えながら、16人のレジェンドにリスペクトを捧げています。

Ego Trip’s Book of Rap Lists

via. Ego Trip’s Book of Rap Lists

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Kool Herc(クール・ハーク)

Kool Herc (right) with Tony Tone (1979)

Kool Herc (right) with The Cold Crush Brothers’ Tony Tone (1979)
via. Joe Conzo

ハークがジャマイカのキングストンからニューヨークにやって来た時、彼は故郷の音楽しか知らなかった。

たとえば、「トースト」と「ダブ」(最終的に「ラップ」や「ミックス」となる)がそれだ。

彼は自分なりのやりかたで、音楽を演奏し表現したのさ。

ハークは主流からはずれたタイプのレコードや、ロックのレコード、ダンスミュージックとして選ばないような多くのレコードを研究していた。

ベイビー・ヒューイやベイブ・ルース、あるいはマーヴィン・ゲイのLP「トラブル・マン」からの「T・プレイズ・イット・クール」が、それさ。

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Afrika Bambaataa(アフリカ・バンバータ)

Afrika Bambaataa (1982)

Afrika Bambaataa (1982)
via. Peter Noble/Redferns

バムは自分なりの方法でヒップホップを「発見」した。

学生時代に(作文コンクールで)アフリカ旅行を勝ち取ったことが、大きく影響していて、
バムはその旅からカルチャーや何もかもを学んだ。

バムは、DJでもMCでも、気に入ったヤツがいればどんどん参加させていた。

ある時は3人のDJと10人のMCと一緒だった。

みんなは「バム、多すぎるよ!」って言ってたけど、バムは気にしなかった。

それから、バムは「レコード・マスター」だった。彼は誰もがグルーヴを楽しめるような、様々なスタイルを持っていたんだ。

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Disco King Mario(ディスコ・キング・マリオ)

Disco King Mario

Disco King Mario
via. UMC

マリオはパイオニアDJの一人だと思っている。

奇妙なことに、ディスコ・キング・マリオとバムは、ブロンクスのサウンドビュー地区の同じ場所でライブをよくやっていた。

「123中学校」の体育館は、大きな仕切りで片側ともう片側を分けていたんだ。

そこで、マリオとバムは同時にプレイしていた。

ディスコ・キング・マリオにはサウンド・システムがあった。
バムにはたくさんのレコードがあって、MCたちがいた。

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Grandmaster Flash(グランドマスター・フラッシュ)

Grandmaster Flash

Grandmaster Flash (1980)
via. Peter Noble

ブロンクスの西側にはハークがいて、反対側にはバムがいた。その真ん中あたりで活動していたのが、フラッシュだ。

フラッシュはカッティングが超速かった。カッティングはフラッシュによって完成された。

Grand Wizard Theodore(グランド・ウィザード・セオドア)

Grand Wizard Theodore (center), The Fantastic Five (1981)

Grand Wizard Theodore (center), The Fantastic Five (1981)
via. Charlie Ahearn

レコードのバックスピンを初めて見たのがフラッシュのプレイで、いつもニードルドロップをやっていたのが、セオドアだった。

いったい何が起こっているんだ!みたいな感じで、レコードに針を落としていくのさ。

Jazzy Jay(ジャジー・ジェイ)

Afrika Bambaataa, Jazzy Jay, Herbie Hancock and Red Alert (1981)

(right to left) Afrika Bambaataa, Jazzy Jay, Herbie Hancock and Red Alert (1981)
via. Sophie Bramly

ジャジーは新しいタイプの「派手な」DJだった。
彼は牛乳箱の上に立って、カットアップしたりしていたリトルガイだった。

Grandmixer D.ST(グランドミキサーD.ST)

Grandmixer D.ST (1982)

Grandmixer D.ST (1982)
via. Janette Beckman

「ズールー」には必ずといっていいほど、何人ものDJがいた。

D.STはそのひとり。

D.STは非常にユニークなスタイルを持っていた。

彼がミキシングの時、自分の才能の見せ方がとてもシャープだった。

非の打ちどころがなかったね。

Whiz Kid(ウィズ・キッド)

DJ Whiz Kid

DJ Whiz Kid
via. Tommy Boy

ウィズ・キッドがやっていた「カッティング」のスタイルは型破りで、あんなヤバいことを、どうやってやってるのか、誰もが疑問に思っていた。

他のヤツと比べて、彼のカットのやり方には、本当に耳を傾ける必要があったんだ。

彼はちょっとしたリズム感を出していた。

ベーシックなベース・プレイヤーから始まって、続いてラリー・グラハムみたいのが登場。さらにプラスアルファで、「おおっ! これはヤバいサウンドだ。マジでドープ」みたいになる。

まさにウィズキッドがそれだった。

Afrika Islam(アフリカ・イスラム)

Africa Islam

Africa Islam
via. solo138

アフリカ・イスラムは、「メイベリー・クルー」と呼ばれる、パークチェスターの出身のクルーを率いていた。

メンバーは、キッド・ヴィシャスというヤツ。それと後に西海岸に拠点を移して、アイス-Tと一緒に活動することになる、ドナルド・Dというヤツだ。ヤツらは「イスラム」のMCとして活動した。

それとは別に、ジャジーもイスラムとプレイしていた。

アフリカ・イスラムは、ヤバいくらいに頭がキレるやつだった。

彼は「バンバータの息子」のニックネームで知られていたし、それがステージネームの由来だ。

Breakout(ブレイクアウト)

DJ Breakout (c.1980)

DJ Breakout (c.1980)
via. Joe Conzo

ブレイクアウトはファンキー・フォーでのカットアップで知られる。
DJバロンは彼のサイドマンだった。

彼らのセクションは、ブロンクスの上、ガンヒル界隈にあった。

ブレイクアウトとファンキー・フォーは、有名なテレビ番組「ギリガンズ・アイランド」のテーマ曲に合わせて、とても独創的な演目を披露していた。

Charlie Chase(チャーリー・チェイス)

Charlie Chase of the Cold Crush Brothers (1981)

Charlie Chase of the Cold Crush Brothers (1981)
via. Joe Conzo

チャーリー・チェイスとトニー・トーンと、最初のMCは誰だったのか覚えていない。でも最終的にはこの2人をDJに、コールド・クラッシュ・ブラザーズが結成された。

チェイスはパーティーを制御不能にすることはなかった、しかし、それはコールド・クラッシュのショーDJであるがゆえだ。

全てのビートをキープし、拍子をキープ。

みんなが踏むステップや動きを常にキープしていた。

AJ Scratch(AJスクラッチ)

Kool AJ Scratch & Busy Bee Starsky (1980)

Kool AJ Scratch (center) & Busy Bee Starsky (right) (1980)
via. Discogs

AJはムーアハウス・センターやE.R.ムーア・プロジェクトでの演奏で知られ、「カットアップ」がヤバいことでも知られていた。

彼はケニーGやラブバグ・スタースキーらとコンビを組んでプレイしていたが、誰にもひけをとらなかった。

Johnny Thunderbird(ジョニー・サンダーバード)

Johnny Thunderbird

via. Ego Trip’s Book of Rap Lists

ジョニー・サンダーバードはハーレムでは有名なDJだった。彼はヒップホップにハマっていたわけではないが、ディスコやR&Bやそれ系の音楽でDJをしていて、そのスタイルでパーティーを盛り上げる方法は、特定のヤツらに影響を与えた。

彼の下で学んだひとりが、ラヴバグ・スタースキーだ。

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Lovebug Starski(ラヴバグ・スタースキー)

Lovebug Starski (1970s)

Lovebug Starski (1970s)
via. Michael Ochs

彼はヒップホップ、R&B、ディスコの要素を、組み合わせてプレイする方法を知り尽くしていた。

スタースキーはパーティーを選ばなかった。

年配の観客のために演奏することができたし、若い観客のためにプレイすることもできた。

彼にはブロンクスでもハーレムでも、観客を喜ばせるセンスと力量があった。

ヒップホップもできたし、他の道を行くこともできた。

尊敬に値するね。

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Hollywood(ハリウッド)

DJ Hollywood

DJ Hollywood
via. cuepoint

ハリウッドもまた、ジョニー・サンダーバードの影響を受け学んだひとりだ。

ピートDJジョーンズと同様に、ディスコDJとしてマンハッタンのミッドタウンのクラブで演奏を始め、ブロンクスに登場し、人気を博していた。

当時のシーンには、故ジューンバグや、俺の仲間のレジー・ウェルズ、そしてエディ・チーバなどがいた。彼らのヒップホップは、ディスコ・ファンに向けられたものだった。

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Grandmaster Flowers(グランドマスター・フラワーズ)

Grandmaster Flowers

Grandmaster Flowers
via. oldschoolhiphop

グランドマスター・フラワーズはブルックリン出身の有名なディスコDJだった。

フラワーズは当時最高のサウンド・システムを持っていることで知られていた。

フラッシュが「グランドマスター」を名乗ったのは、フラワーズに由来すると思う。

フラワーズはディスコの流儀を極め、フラッシュはヒップホップの流儀を極めた。

グランドマスター・フラワーズよ、安らかに眠れ。

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