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ディスコ・ソースが充実。24時間以内に発送いたします。1929年〜1979年のシングル、10万タイトル以上の在庫あり、カタログは1.25ドルです。
今は亡き、マンハッタンの伝説のレコード店、ダウンステアーズの新譜入荷情報より。
ビルボード誌1979年7月21日号に掲載された広告で、ダウンステアーズがセレクトした17組のアーティスト(+ アルバム、12インチシングル)がピックアップされています。
「(ダウンステアーズのレコードは)アフリカ・バンバータがプレイしているレコードなんだ」と当時のスタッフが語っていたように、店の常連であったバンバータが、当時どのレコードを選び、どんな曲をプレイしていたのか、さらに名曲「プラネット・ロック」のサウンドはどこから来たものなのかを、知るための貴重な資料でもあります。
ここではコーネル大学図書館に資料保存されているバンバータのコレクション一覧「バンバータ・ヒップホップ・アーカイブ」と照らし合わせ、1979年7月の新譜1枚1枚にスポットを当てていきます。
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- Harvey Mason – Funk In A Mason Jar (1977)
- Saturday Night Band – Keep Those Lovers Dancing (1979)
- Machine – Machine (1979)
- Disco Circus – Disco Circus (1978)
- Paul Jabara – The Third Album (1979)
- Yellow Magic Orchestra – Yellow Magic Orchestra (1979)
- Revelation – Get In Touch (1979)
- Edwin Starr – H.A.P.P.Y. Radio (1979)
- Montreal Featuring Uchenna Ikejiani – Montreal Featuring Uchenna Ikejiani (1979)
- Kathi Baker – Fa La La (Feel The Heat) / Dance To The Music (1979)
- Hott City – Ain’t Love Grand / Feelin’ Love (1979)
- Black Ivory – Mainline (1979)
- Nancy Wilson – Life, Love And Harmony (1979)
- Sun – Pure Fire (1979)
- Charanga 76 – No Nos Pararan (Ain’t No Stopping Us Now) (1979)
- Ashford & Simpson – Found A Cure (1979)
- Freddie James – Get Up And Boogie (1979)
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Harvey Mason – Funk In A Mason Jar (1977)

Harvey Mason – Funk In A Mason Jar (1977)
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ハービー・ハンコック「ヘッドハンターズ」のメンバーにして、セッション・ミュージシャンとしても当時多忙を極めていた名ドラマー、ハービー・メイソンの3枚目のソロアルバム。
ジョージ・ベンソンのギター、ホルヘ・ダルトのピアノをフィーチャーした美しい「ホワッツ・ゴーイン・オン」のカバーから、ルイス・ジョンソン、デイヴ・グルーシン、レイ・パーカー・ジュニアをフィーチャーしたPファンク・オマージュの「スペース・カデッツ」まで、驚くほど豪華なトップ・ミュージシャンが勢ぞろいした、1970年代後半のR&B界隈ジャズ界隈のショーケースのようなアルバムです。
ダウンステアーズの広告では、2年前のレコードにもかかわらず「まずは『ファンク・イン』を買おう」と強力にプッシュ。アフリカ・バンバータのレコード・コレクション的には、このアルバムに加え、1975年のファーストアルバム「マーチング・イン・ザ・ストリート」、1976年のセカンドアルバム「アース・ムーバー」と、ハービー・メイソンのソロは1、2、3を揃えています。
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Saturday Night Band – Keep Those Lovers Dancing (1979)

Saturday Night Band – Keep Those Lovers Dancing (1979)
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当時のディスコミュージックの流行に載り1976年に設立された、ニューヨークのインディペンデント系レーベル、ビルボード誌いわく100%ディスコレーベル「プレリュード」からリリースされたサタデー・ナイト・バンド2枚目のアルバムです。
サタデー・ナイト・バンドは、R&Bソウル・デュオ「ディラード&ボイス」としても知られる、レーベルのプロデューサー、モーゼス・ディラードとジェシー・ボイスを中心としたセッション・グループで、レコーディングは彼らが拠点としていたナッシュビルのサウンド・ステージ・スタジオで行われました。メロウネスな「シェア・ザ・フィーリングス」以外は5曲すべてがBPM速めなディスコ・サウンドが満載です。
アフリカ・バンバータは、1978年のファーストアルバム「カモン・ダンス、ダンス」をコレクションにチョイスしています。

Saturday Night Band – Come On Dance, Dance (1978)
via. Discogs
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Machine – Machine (1979)

Machine – Machine (1979)
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グループ最大のヒット曲「ゼア・バット・フォー・ザ・グレイス・オブ・ゴッド・ゴー・アイ」(ビルボード・ホット100、10週チャートイン、最高位77位)を含む、ニューヨークのファンク/ディスコ・グループ「マシーン」のファースト・アルバム(1979年)
アルバムのハイライトは、やはり「ゼア・バット・フォー〜」で、「可愛い女の子が生まれた夫婦が、ブロンクスは子供を育てるにはふさわしくないと静かな街に引っ越すが、16歳になった娘は街で出会った男と家を出てしまう」というお話を、リードボーカルのクレア・ベイズが母の物語を、ギター/ボーカルのジェイ・ストーバルが父の物語を交互に歌い上げます。
シンセ・リフをフィーチャーした間奏は催眠術のように何度もループしていき、その後のダンスミュージックを予言。また、プロデューサーのオーガスト・ダーネルはグループ解散後、キッド・クレオールを名乗り「ザ・ココナッツ」を結成。翌年1980年には「ゼア・バット・フォー〜」のセルフカバーをリリースしています。
バンバータは、ファーストに加えセカンド・アルバム「ムービング・オン」をコレクション。さらに「ゼア・バット・フォー・ザ・グレイス・オブ・ゴッド・ゴー・アイ」の12インチシングルは、ショートバージョン等を含む計6枚購入していることが確認できます。
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Disco Circus – Disco Circus (1978)

Disco Circus – Disco Circus (1978)
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「ダウン・アンド・カウンティング」や「ブギウギ・ダンシングシューズ」のヒット曲で知られるシンガー・ソングライター、クラウディア・バリーの夫で、同曲の作者でもあるドイツ人プロデューサーのユルゲン・S・コルドゥレッチによるスタジオ・プロジェクト「ディスコ・サーカス」のファースト・アルバム(1978年)。
ミュージシャンにはドラマーのキース・フォージーを始め、ギタリストのマッツ・ビョークランド、キーボードに作曲家のシルヴェスター・リーヴァイ、ベーシストのデイブ・キング、ゲイリー・アンウィンなど、ドイツ国外から集められ、ミュンヘン・サウンド(ドナ・サマーやボニーMなど)を支えたトップ・ミュージシャンが集結。
シングル・カットされ、ニューヨークのナイトクラブで大ヒットしたスペース・ディスコ「オーバー・アンド・オーバー」がアルバムのハイライトで、ビルボード・ディスコ・トップ80の最高位24位を記録(1979年8月4日、8月11日)。
ミュンヘン・チームによる無機質にループする演奏は催眠術のようで、永遠に続くハンド・クラッピングは2年後に誕生する「808」を予言しています。
インクレディブル・ボンゴ・バンドもカバーした、アイアン・バタフライ「ガダ・ダ・ヴィダ」のディスコ・バージョンを収録。またアルバムはオールド・ヒップホップの定番ベイブ・ルース「ザ・メキシカン」で幕を閉じています。
アフリカ・バンバータはグループ最大のヒット曲「オーバー・アンド・オーバー」の12インチシングル(カップリングは「ガダ・ダ・ヴィダ」)をコレクションしています。

Disco Circus – Over and over (1978)
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参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Paul Jabara – The Third Album (1979)

Paul Jabara – The Third Album (1979)
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ドナ・サマーのヒット曲「ラストダンス」や、バーブラ・ストライサンドとドナ・サマーのデュエット曲「ノー・モア・ティアーズ(イナフ・イズ・イナフ)」の作曲で知られる、ブルックリン生まれの俳優でシンガー・ソングライター、ポール・ジャバラの3rdアルバム。
自身のプロデュースによりカサブランカ・レコードからリリースされた1979年の作品で、ゲスト・ボーカルとしてドナ・サマーが参加のデュエット曲「フォギー・デイ/ネバー・ルーズ・ユア・センス・オブ・ヒューモア」を収録。
アフリカ・バンバータは次回作、1983年リリースの4thアルバム「ポール・ジャバラ・アンド・フレンズ」をコレクションにチョイスしています。
Yellow Magic Orchestra – Yellow Magic Orchestra (1979)

Yellow Magic Orchestra – Yellow Magic Orchestra (1979)
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A&Mレコード傘下のホライズン・レーベルから、アメリカ市場に向け1979年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラのデビューアルバム(日本国内でのアルバム・デビューは前年1978年)。
同年シングルカットされたマーティン・デニーのカバー曲「ファイアー・クラッカー」(アメリカ盤のシングルは「Computer Game “Theme from The Circus”」という題名でリリース)は、ビルボードのホット100では最高位60位(1980年3月15日)、ディスコ・トップ100では最高位42位(2月16日)、ホット・ソウル・シングルスでは最高位18位(3月29日-4月5日)を記録しています。
「イエロー・マジック・オーケストラというグループにはまっていた」と(映画「808」などの)インタビューでもファンを公言するアフリカ・バンバータは「ファイアー・クラッカー」を好んでプレイ(「Death Mix Part 2」に1983年のライブが収録)。
さらにYMOの収集は続き、1981年のリリースのアルバム「テクノデリック」、同アルバムからのシングル「キュー/千のナイフ」、同年のリリースのアルバム「テクノデリック」、1983年の「サーヴィス」、1984年の「アフター・サーヴィス」と、ラストアルバムまでを網羅していたとアーカイブの記録に残っています。
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
またバンバータは、坂本龍一の1981年のシングル「ライオット・イン・ラゴス/ウォー・ヘッド」、同年リリースの3rdアルバム「左うでの夢」、「坂本龍一 & ロビン・スコット」名義のミニ・アルバム「ジャスト・アバウト・イナフ」(1982年)、ボーカルにジル・ジョーンズをフィーチャーした1990年のシングル「ユー・ドゥー・ミー/アモーレ」をチョイスしています。
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Revelation – Get In Touch (1979)

Revelation – Get In Touch (1979)
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モダン・ゴスペル・グループ「ニューヨーク・コミュニティ・クワイア」のリーダーとしても知られるソウル・シンガー/ソングライター、ベニー・ディグスが率いるボーカルグループ「リベレーションズ」が、1979年にRCAビクターからリリースした3rdアルバム。
「ゲッタウェイ」を連想させるサビと、何度も「ゲットダウン!」「ゲット・オン・アップ!」と連呼するオープニング曲「ムーブ・オン・アップ」は同年、同レーベルからシングル・カットされています。
アフリカ・バンバータは1975年のデビュー・アルバム「リベレーションズ」と、1980年のシングル「フィールイット」をコレクションしています。
Edwin Starr – H.A.P.P.Y. Radio (1979)

Edwin Starr – H.A.P.P.Y. Radio (1979)
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全米チャート1位のヒットシングル「ウォー」(1970年)で知られるエドウィン・スターの復帰作。モータウンから20世紀フォックス・レコードへ移籍後、1978年にリリースのシングル「コンタクト」でディスコ・チャート1位、R&Bチャート13位の記録で成功を収め、その続編として1979年に発表したセルフ・プロデュース・アルバムが「ハッピー・レディオ」です。
5曲のダンス・チューンと、ソウルフルな「ドラウン・マイ・ハート」、バラード「マイ・フレンド」で構成された本アルバム。シングル・カットされたタイトル曲「ハッピー・レディオ」は、ビルボード・ホット100で79位、R&Bチャートで28位を記録。さらに全英シングルチャートでは翌年1979年5月にトップテン入り、9位を記録しています。
アフリカ・バンバータは、エドウィン・スター最大のヒット「ウォー」を含む1971年のアルバム「インボルブド」をはじめ、1977年のアルバム「エドウィン・スター」、そしてディスコ・ヒット「コンタクト」収録の1978年のアルバム「クリーン」をコレクションしています。
Montreal Featuring Uchenna Ikejiani – Montreal Featuring Uchenna Ikejiani (1979)

Montreal Featuring Uchenna Ikejiani – Montreal Featuring Uchenna Ikejiani (1979)
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1980年代以降キャロル・ジアーニ名義でソロ歌手として活動する、ナイジェリア出身のシンガー、ウチェナ・イケジアーニのデビュー作であり、ダンスミュージック・レーベル、サルソウル・レコードから1979年にリリースされたディスコ・ユニット「モントリオール」唯一のアルバム。
プロデューサーは、カナダ人のジョー・ラ・グレーカ。ソング・ライティングは、ピアニストのアンドリュー・ボーン、ギタリストのブルース・J・ハインズらスタジオ・ミュージシャンによるもので、録音スタジオはカナダ・モントリオールのマーコ・スタジオです。
全3曲、合計約28分というミニアルバムで、ウチェナ・イケジアーニのボーカルをフィーチャーしたディスコ「イフ・ユー・ビリーブ・イン・ミー」、アナログ・シンセによるサイケデリックな展開が異色なコズミック・ディスコ「ハイアー・アンド・ハイアー」、ラテン・パーカッションをフィーチャーしたインストゥルメンタル「アンダー・ザ・ライツ・オブ・モントリオール」を収録しています。
アフリカ・バンバータのコレクション一覧には、モントリオールのプロモ盤を所有していたとの記述が残っています。
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Kathi Baker – Fa La La (Feel The Heat) / Dance To The Music (1979)

Kathi Baker – Fa La La (Feel The Heat) / Dance To The Music (1979)
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ベルリン産レア・グルーヴ。ドイツのレーベル「Toledo」から1979年にリリースされたキャシー・ベイカー唯一のアルバム「フィール・ザ・ヒート」からのシングルカット。マーゴット・トーマスの「ムーブ・イット」を手がけたドイツ人プロデューサー、カール・シュミッツによるスタジオ・プロジェクトで、詳細不明のシンガーソング・ライター、キャシー・ベイカーの柔らかなボーカルをフィーチャーしたディスコ・メドレーです。
カップリング曲は、ファンキーなスラップ・ベースをフィーチャーしたブギー・チューン「ディスコ・ジャム」。アフリカ・バンバータは、アメリカのディスコレーベル「Deco」からリリースされたUS盤の「フィール・ザ・ヒート」の12インチ・シングルをコレクションにチョイスしています。

Kathi Baker – Fa La La (Feel The Heat) / Dance To The Music (1979)
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参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Hott City – Ain’t Love Grand / Feelin’ Love (1979)

Hott City – Ain’t Love Grand (1979)
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ロサンゼルスのディスコ・レーベル、バタフライ・レコードから1979年にリリースされた、ディスコ・ユニット「ホット・シティ」唯一のアルバム「エイント・ラブ・グランド」からのシングル・カット。ビルボード・ディスコ・トップ80(同年9月より「トップ100」に変更)では1979年8月11日から10週チャートイン、最高位29位(9月8日-9月15日)を記録したグループ最大のヒット曲です。
「ホット・シティ」は、作曲家でアレンジャーのジェフリー・パーソンズとジェフリー・スタインバーグによるディスコ・プロジェクトで、「グラフィティ」名義でスタートし、1978年にシングル「エイント・ラブ・グランド」をリリース。さらにグループ名を「ホット・シティ」と改名し同曲を再録しています。
アグレッシブなシンセベース、疾走するドラムスとパーカッション。ジャズ・ファンクなホーン・セクションが高揚感を煽っていく中、シンガー、ブルージェイが刹那的な恋愛をクールに歌っています。
カップリングは、エレクトロ・ディスコの名作「フィーリン・ラブ」。デトロイトのシンガー、シェリー・フォックスの美しいボーカルと、ウォズ(ノット・ウォズ)の初期メンバー、ブルース・ナザリアンのナチュラルなギターをフィーチャーしています。

Hott City – Feelin’ Love (1979)
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翌年、パーソンズとスタインバーグのコンビは、20世紀フォックス・レコードから「カット・グラス」名義でシングルをリリース。「ウィズアウト・ユア・ラブ」はビルボード・ディスコ・トップ100において最高位19位のヒット曲となりました。
Black Ivory – Mainline (1979)

Black Ivory – Mainline (1979)
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ハーレム出身のR&Bグループ、ブラック・アイボリーが1979年にブッダ・レコードからリリースしたヒット・シングル。同年7月のアルバム「ハンギン・ヘビー」からのシングル・カットで、「メイン・ライン」はビルボード・ディスコ・トップ80に3週チャートイン(最高位57位)しています。
リロイ・バージェスのファルセットをフィーチャーしたメロウなR&Bで知られるブラック・アイボリーですが、1977年にバージェスが脱退。そのバージェスが作曲した楽曲を、ラッセル・パターソンがリード・ボーカルを務め、アップテンポなディスコ・アレンジで再起を図った意欲作が「メイン・ライン」です。
名ドラマー、ジミー・ヤングのタイトなビートに加え、ディスコ・レジェンド、パトリック・アダムスが編曲を手掛けたストリングス&ホーンが楽曲をエモーショナルに盛り上げています。
1990年代以降には、ハウス界隈でサンプリング・ソースとして定番曲に。ガラージュ・クラシックとしても再評価される名作です。
アフリカ・バンバータは、ブラック・アイボリーをかなり好んでコレクションしています。1972年のデビュー・アルバムにしてビルボードR&Bアルバムチャートで19週にわたってトップ20入り(最高位13位)を果たした「ドント・ターン・アラウンド」や、同年のセカンド・アルバム「ベイビー・ウォント・ユー・チェンジ・ユア・マインド」(R&Bアルバムチャート26位)を始め、1976年リリースの隠れたディスコ・シングルの名作「ウォーキング・ダウン(サタデー・ナイト)」、ヒット曲「メインライン」を 再収録した1984年のアルバム「ゼン・アンド・ナウ」、1986年のEPでロックイットなクラブ・ミックス・バージョンを含むエレクトロなダンス・ポップ「キャント・シェイク・ユア・ラブ」をチョイスしています。
Nancy Wilson – Life, Love And Harmony (1979)

Nancy Wilson – Life, Love And Harmony (1979)
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ヒット曲「(You Don’t Know) How Glad I Am」や、スタンダード「Guess Who I Saw Today」の名演で知られ、3度のグラミー賞受賞経験を持つジャズシンガー、ナンシー・ウィルソンが1979年にリリースしたアルバム「ライフ・ ラブ・アンド・ハーモニー」からのシングル・カット。
ベテラン・シンガーがディスコ・ブームの時流に乗りダンス・フロアへの参入を試みた意欲作で、ビルボードR&Bチャート最高83位(1979年8月11日)。さらに同年アルバム収録曲で、レアグルーブ・クラシックとして人気の「Sunshine」をシングル・カットしています。
Sun – Pure Fire (1979)

Sun – Pure Fire (1979)
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オハイオ出身のファンクバンド「Sun」の4thアルバム「ディスティネーション・サン」からのシングル・カット。
マルチ・インストゥルメンタル・プレイヤー、バイロン・バード率いるR&B/ファンクバンド「Sun」は1976年にオハイオ州デイトンで結成。メンバーチェンジを繰り返し、1979年にリリースされた4thアルバム「ディスティネーション・サン」は、ビルボードのソウルLPチャートで最高位17位を記録。「ユー・アー・マイ・サンシャイン」のリフから始まるキャッチーなオハイオ・ファンク「ピュア・ファイア」はビルボード・ホット・ソウル・シングル・チャートで最高位67位を記録しています。
アフリカ・バンバータは1977年にリリースされたセカンド・アルバム「サン・パワー」(ビルボード・ソウルLPチャート最高位39位)をコレクションしています。
Charanga 76 – No Nos Pararan (Ain’t No Stopping Us Now) (1979)

Charanga 76 – No Nos Pararan (Ain’t No Stopping Us Now) (1979)
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ニューヨークを拠点とするラテン・ミュージック・バンド「チャランガ76」が1979年にリリースしたカバー・シングル。
キューバ生まれのダンス・ミュージック「チャランガ」をベースに1976年、ギロ奏者フェリペ・マルティネスを中心に結成された「チャランガ76」。フルート奏者アンドレア・ブラッチフェルドをフィーチャーしたエレガントなサウンドは、ビルボード誌でもラテンチャートの常連になるほどの人気グループに。
1979年当時、チャランガ76はR&B系ヒット曲のスペイン語バージョンを続々リリース。シックの「グッド・タイムス」、シスター・スレッジ「ウイ・アー・ファミリー」、そしてマクファデン&ホワイトヘッドのNo1ヒット「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」のスペイン語カバーはリリース後、ニューヨークのラジオ局(WBLS、WKTU、KISS-FM)のパワープレイ楽曲となるほどの大成功を収めています。
アフリカ・バンバータのコレクションには、シスター・スレッジのカバー「ウイ・アー・ファミリー(ソモス・ファミリア)」に加え、ベン・E・キングのカバー「ミュージック・トランス」(1979年)、さらに1976年リリースのライブ盤「ライブ・アット・ローズランド」は2枚購入したことがアーカイブ・リストに記録されています。
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Ashford & Simpson – Found A Cure (1979)

Ashford & Simpson – Found A Cure (1979)
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夫婦デュオ、アシュフォード&シンプソンのヒット・アルバム「ステイ・フリー」(1979年)からのシングル・カットで、ディスコ・チャートNo1に輝いたヒットソングです。
「ヴァレリー&ニック」名義で1964年に3枚のシングルをリリース後、モータウンのソングライター兼プロデューサー・チームとして、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルやダイアナ・ロスらの楽曲を手がけ、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」などの名曲を残したニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンは、R&Bボーカルの夫婦デュオとして1973年に再デビュー。ワーナー・ブラザーズから数々のレコードをリリースしています。
1979年、アルバム「ステイ・フリー」からは3曲をシングルカット。「ファウンド・ア・キュア」「ノーバディ・ノウズ」「ステイ・フリー」共にビルボードのディスコ・トップ・チャートではNo1を記録しています。
また、ビルボード・アルバムチャート「Top LPs & Tape」でも最高位25位を記録した名盤「ステイ・フリー」を、アフリカ・バンバータはプレイ用にチョイスしています。
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016.
Freddie James – Get Up And Boogie (1979)

Freddie James – Get Up And Boogie (1979)
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カナダ産キッズ・ディスコ。R&Bシンガー、ジェラルディン・ハントの息子としても知られるフレディ・ジェイムスが、弱冠14歳にして1979年にリリースしたファーストEP(ミニアルバム)「ゲット・アップ・アンド・ブギー」からのシングルカット。
シカゴ生まれでカナダを拠点に活躍し、ジャクソン5、特にマイケル・ジャクソンから最も影響を受けたというフレディ・ジェイムスは、国内盤の解説では「リトル・スティーヴィー・ワンダーの再来」と絶賛されています。
さらに(カナダのグラミー賞)「ジュノー賞」において、1980年のシングル・オブ・ザ・イヤーと最優秀新人男性ヴォーカリスト賞にノミネート。同年、カナディアン・ブラック・ミュージック・アワードの最優秀アルバム賞を受賞しています。
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Downstairs Records (1990s)
via. Jesper Jensen