
ダウンステアーズ・レコード
写真はおそらく1990年代のもの。入り口にビッグ・パンのポスターが3枚貼ってあります。
via. Jesper Jensen
ニューヨークの「ダウンステアーズ・レコード」では、奇妙な現象が起きています。
米ビルボード誌1978年7月1日号の記事より。
ニューヨークを代表するディスコ・ミュージックの(レコード)販売店である「ダウンステアーズ・レコード」には、世に知られていないR&Bの廃盤レコード、「カットアウト盤」の依頼が殺到しています。
リクエストのほとんどは、ブロンクスで活動する若いDJ達からのもので、彼らは各ディスクに収録されている「30秒ほどのリズム・ブレイク」をプレイするためだけに、レコードを購入。この奇妙な現象を引き起こしたのは「クール・ハーク」として知られる、26歳のモバイルDJだといいます。
関連記事:「30秒のイケイケ」に、ブロンクスのDJたちが殺到する理由:DJクール・ハークとブレイクビーツ
クール・ハークをはじめ、バンバータ、フラッシュらヒップホップ・レジェンドの御用達で、1970年代後半から1990年代にかけ重要拠点だったという伝説のレコード店「ダウンステアーズ・レコード」。レジェンドたちのインタビューや伝記などのアーカイブから、ダウンステアーズが初期ヒップホップ・ミュージックに与えた影響を探ります。
グランドマスター・フラッシュと、ダウンステアーズ

「DJの方には、特別割引をご用意しております。国内・輸入ディスコ・レコードのカタログをご用意しておりますので、お気軽にお問い合わせください」
レコード店「ダウンステアーズ・レコード」の広告(1978年)
via. Downstairs Records
かつてマンハッタンのミッドタウンにあったディスク・オー・マット(474・セブンス・アベニュー)とダウンステアーズ・レコード(1026・アベニュー・オブ・ザ・アメリカス)は、新曲がドロップ(発売)されるとグランドマスター・フラッシュがよく行く店でした。
ニューヨークの新聞系メディア「AM New York」より、グランドマスター・フラッシュのインタビュー。
Grandmaster Flash, from ‘disrespecting’ vinyl to pioneering hip-hop in the Bronx : amNY
「ダウンステアーズ・レコードは、おそらく最も重要な存在だったと思う。なぜなら、新譜が一番最初に買えたショップであり、(レコードのセレクトも)俺たちが探していたものと、非常に好みが近かった。俺やバム(バンバータ)やブレイクアウトが何か変わったものが欲しい時には、いつでも連絡をくれたんだ。

Bra – Cymande (Cymande 1972)
via. Discogs
レコード店のつくりは、手前に一般向けのエリアがあって、その奥に『熱い』エリアがあった。」
チャーリー・チェイスと、ダウンステアーズ

チャーリー・チェイス(左)とトニー・トーン
via. Joe Conzo
チャーリー・チェイスが(クルーの)新しいDJとして育てる目的で、トニー・トーンはチャーリーにダウンステアーズ・レコードと従業員のエルロイを紹介しました。ダウンステアーズは、多くのDJ達がブレイクビーツのコレクションを求め集まった場所で、16歳のエルロイはホットな音楽をなんでも知っている店員でした。
ヒップホップの歴史書「Break Beats in the Bronx: Rediscovering Hip-hop’s Early Years」より、チャーリー・チェイスのインタビュー。
「トニーに連れられて行ったその店は、ヒップホップのブレイクビーツ専門店で、俺はその存在を知らなかった。ダウンステアーズは、店内全てがブレイクビーツだらけだった。あらゆるタイプのブレイクビーツがそこにあった。聞いたこともないブレイクビーツや、曲は知っていてもブレイクビーツだとは認識していなかったもの。ロックンロールのレコードとかね。」チャーリー・チェイスは、すぐに店の常連になりました。
「給料をもらうたびに、店に行ってはレコードを買っていたよ。家賃のためにいくらかは残しておいて、残りの金すべてレコードに消えた。食べなくても気にならないくらいだった。『ワイルド・マグノリアス』やプレジャーの『レッツダンス』、『ブラック・ベティ』を買った。あの店でブレイクビーツに夢中になったんだ」

The Wild Magnolias With The New Orleans Project – The Wild Magnolias (1974)
via. Discogs

Pleasure – Let’s Dance (1976)
via. Discogs

Ram Jam – Black Betty (Ram Jam 1977)
via. Discogs
関連記事:Charlie Chase(チャーリー・チェイス)
グランド・ウィザード・セオドアと、ダウンステアーズ

グランド・ウィザード・セオドア
via. HIP HOP Archives
(幼少期から)すでに音楽好きだったセオドアは、マンハッタンのダウンステアーズ・レコードに通っては、ピンボールで遊びながら、店内で流れているレコードを聴いていました。
ヒップホップの歴史書「Break Beats in the Bronx: Rediscovering Hip-hop’s Early Years」よりグランド・ウィザード・セオドアのインタビュー。
「カウンターの向こうでレコードをかける男がいると、俺はピンボールで遊びながら、ヤツが何をプレイしているのか絶えず注目していたのさ」
さらに、「(DJミーン・ジーンとして知られていた)兄が週末にパーティーを開くときに追加のレコードが必要だから」と、店で聴いたレコードを購入していきました。
セオドアはレコードでの練習を重ねていくうちに、レコードの強調したい部分に針を落とすコツがつかめてきました。それはまるで、回転するレコードの溝の中にある、ブレイクビーツの始まりと終わりが見えるかのように。
トム・シルバーマンと、ダウンステアーズ

トム・シルバーマン、プロデュース「プラネット・ロック」
Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force – Planet Rock (1982)
via. Discogs
後にトミーボーイ・レコードの創設者となるトム・シルバーマンは、雑誌「ダンス・ミュージック・レポート」の編集に携わっていた70年代後半、バンバータの存在を知ることになります。
映画「808」(2016年)より、トム・シルバーマンのインタビュー。
「ダウンステアーズ・レコードには『ブレイクビート・ルーム』というのがあると聞いたんだ。その店は6番街と43丁目の地下鉄に行く途中にあるレコード店で、16歳や17歳くらいのキッズたち、黒人のキッズたちが、レコードを買うためにドアの外まで列を作って待っていた。それはまるで社会現象のような、あんなことは初めてだった」
「一体何が起こっているのか、と聞いたんだ。レコードと(外の行列が)どう関係あるのか、と。するとキッズたちは、『ここにあるのは、アフリカ・バンバータがプレイしているレコードなんだ』と言うんだ」
「そこで『バンバータ』に連絡を取るにはどうしたらいいかと、レコード店の店長らしき人に聞いてみた。彼は電話番号を教えてくれたので、バンバータに電話した。すると『木曜日の夜にT・コネクションでプレイしている』とバンバータは言ったんだ。ブロンクスのホワイト・プレインズ・ロードにある、というディスコだ。」
関連記事:ダウンステアーズ・レコード 新譜入荷情報:1979年7月21日
ジャム・マスター・ジェイと、ダウンステアーズ

Jam Master Jay (1980s)
via. #jasonmizell
優れたDJは皆、小さな考古学者を持っています。レア盤や廃盤のレコードを発見することは、DJにとって巻物を発見することと同じことなのです。(ジャム・マスター・)ジェイは、マンハッタンのアベニュー界隈やタイムズ・スクエアにある古いレコード店を探し回りコレクションを築いていきました。
ジャム・マスター・ジェイの伝記本「Jam Master Jay : The Heart of Hip-Hop : David Thigpen」より。
彼が定期的に訪れていた店の1つが、ダウンステアーズ・レコードでした。この店は、1970年代や1980年代の間、もしくは1990年代に(マンハッタンの)42丁目と6番街の地下鉄のアーケードを通ったことのある人なら誰でも知っているであろう、店は汚いが品揃えの豊富なレコード店でした。(ダウンステアーズはその後、6番街の2階に移転しました)

Downstairs Records (1990s)
via. Jesper Jensen
入手困難なレコードがずらりと並び、DJたちに愛されたダウンステアーズ。数万枚に及ぶ12インチ、33回転、45回転の膨大な宝の山は、ソウル、R&B、ラテン、カリビアン、ロック、メタルなど、ありとあらゆるジャンルを網羅していました。
コンパクト・ディスクがレコードから棚を奪い始めた後も、ダウンステアーズ・レコードはそのルーツと専門的な客層に忠実であり続けました。店内の明るい蛍光灯と絶え間なく流れる音楽は、好奇心旺盛な通行人や、新鮮な音楽を求めるパーティー好きのDJを夜遅くまで誘いました。
J・ゾーンと、ダウンステアーズ

歌詞にダウンステアーズが登場する「The Promo」が収録された、ジャングル・ブラザーズのデビュー・アルバム
via. Discogs
「週に5日、ダウンステアーズ・レコードに通った」とジャングル・ブラザーズが謳ったのは、おそらく大げさなことではないだろう。
音楽メディア「Complex」より、J・ゾーンがダウンステアーズ・レコードを回想。
7. Downstairs Records : Remembering the Greatest Hip-Hop Shops : Complex
ミッドタウンの6番街にあったダウンステアーズは、70年代にはディスコが充実していることで評判となり、80年代にはヒップホップへの扉を開いた。ダウンステアーズには古い時代からのデッドストックによるディスコ・ブレイクやシングル・レコードが無限に売っていた。
しかし、それだけではなく、80年代後半の最も無名なインディペンデント系ヒップホップなんかは、レコードとカセットの両方が置いてあった。(それは90年代半ばに到来するインディブームのずっと前のことだ)。
当時、お気に入りだったプロデューサー、マーク・ザ・45・キングは、タフ・シティ・レコードからリリースされる作品の大半をプロデュースしていたが、ダウンステアーズのタフ・シティのコーナーは、幅約1フィートの充実ぶりだった。

The 45 King – Master Of The Game (1988)
via. Discogs
そして「ボーイ・ワンダー・インペリオ・Dのセット・トゥ・セット・アン・エグザンプル」のような、それまで見たこともないような、一風変わったラップのレコードを手に入れたのもあの店だった。ダウンステアーズは、カジュアルな音楽ファン向けではなく、多くの役に立たない、そして面白いほどひどいインディペンデント・ラップのリリースをたくさん掘り起こすことに興奮を覚えたものだった。

“Boy Wonder” Imperio D – Set To Set An Example (1990)
via. Discogs