
Play That Beat Mr. D.J. – G.L.O.B.E. & Whiz Kid (1983)
via. Discogs
グランドマスター・フラッシュやアフリカ・バンバータのように、ここ最近、彼の名前が取り上げられることはほとんどありません。しかし、オールドスクール・ヒップホップを本気で研究している人であるならこう言うでしょう。ハロルド(ウィズ・キッド)マクガイアという人物が、これらの著名人たちと同じくらいDJのパイオニアであると。
Something Else! Featured Artist: Old school hip hop edition!
音楽メディア「Something Else!」のヒップホップ特集記事より。1980年代初頭、オールドスクール期にスポットを当て、グランドマスター・フラッシュやアフリカ・バンバータ、そして彼らと並ぶレジェンドとしてウィズ・キッドを紹介。
ウィズ・キッドを知られざるパイオニアと絶賛するのは、シアトル在住の音楽ジャーナリストで、ウェブメディア「Blogcritics」の編集者グレン・ボイド氏。さらにボイド氏は、「プラネット・ロック」、「ザ・メッセージ」と並ぶヒップホップの古典として「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」をフィーチャーしています。
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「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」G.L.O.B.E.&ウィズ・キッド(1983年)
今日、ヒップホップ純粋主義者の間で不朽の名作とされている「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」。1983年にウィズ・キッドが、トミーボーイ・レコードからリリースした12インチシングルであり、この曲は「スクラッチ」というDJのアートにおいて画期的な出来事でした。
グランドマスター・フラッシュの「ホイールズ・オブ・スティール」やハービー・ハンコック「ロックイット」でのグランドミキサー・DStなど、「DJのショーケース」の超定番と同様に、この素晴らしいレコードはそれ自体が画期的で、さらに、この3枚がほぼ同時期にリリースされていることも重要です。
「パンクロック、ニュー・ウェイヴ、ソウル、ポップ・ミュージック、サルサ、ロックンロール、カリプソ、レゲエ、リズムアンドブルース」すべてのジャンルを等しく賞賛する、音楽の境界のないパーティーをG.L.O.B.Eの歌詞が表現する一方で、「ナンバーワンの楽曲をマスター・ミックス*」と、ウィズキッドは、スクラッチの「教科書」をご教授してくれているのです。
* “master mixes those number one tunes”
当時のクラブで「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」は大ヒットを記録しましたが、ウィズ・キッドがこの曲を再演することはありませんでした。シングルリリース後、まもなくウィズ・キッドは、妻の軍でのキャリアに伴い、家族と共にニューヨークから、ワシントン州タコマに引っ越したからです。
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もちろんウィズ・キッドは他にも、トミーボーイからのセカンド・シングル「ヒーズ・ガット・ザ・ビート」。そして、シアトルに拠点を置くヒップホップ・レーベルのナスティー・ミックスから「レッツ・ゲット・イット・オン」(マーヴィン・ゲイの名曲を、ラッパーYSLと、ヒップホップにアップデートした作品)などレコードはリリースしています。

Whiz Kid – He’s Got The Beat (1985)
via. Discogs

Whiz Kid With YSL – Let’s Get It On! (1990)
via. Discogs
しかし、そのどれもが「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」のような高みに達することはありませんでした。悲しいことに、ウィズ・キッドは1990年代初頭、脳腫瘍の合併症で他界しています。
ウィズ・キッドはグランドマスター・フラッシュほど有名ではないかもしれません。しかし、ヒップホップ史の研究者たち、特にDJにとって、彼のレジェンドとしての地位は、決して小さなものではありません。
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