DJウィズ・キッド、北西部ヒップホップのゴッドファーザー

WHIZ KID – He’s Got The Beat : TOWN LOVE (Crane City Music)

via. TOWN LOVE (Crane City Music)

「ウィズ・キッドは、これからもずっと、北西部ヒップホップのゴッドファーザーである」と、1987年出版のロケット・マガジンで絶賛したのは(シアトル在住の音楽ジャーナリスト)グレン・ボイド氏です。

これほどまでに高く評価されているにもかかわらず、(ウィズ・キッドこと)ハロルド・マクガイアの音楽や、(ワシントン州の)タコマやシアトルでのヒップホップ黎明期における、彼の貢献について、ほとんど誰も知らないのは驚きです。

WHIZ KID – He’s Got The Beat : TOWN LOVE (Crane City Music)

シアトルを拠点とするヒップホップ・レーベル「Crane City Music」が運営するアーカイブメディア「TOWN LOVE」に掲載された特集記事より。

ウィズ・キッドこと、ハロルド・マクガイア氏は初期ヒップホップの知る人ぞ知るレジェンドであり、北西部ヒップホップ黎明期を牽引したヒットメーカーでもあった、と記事ではその足跡を振り返り、彼の功績を讃えています

関連記事:Whiz Kid(ウィズ・キッド)

ファーストシングル リリース後、活動拠点を北西部タコマに

Play That Beat Mr. D.J. – G.L.O.B.E. & Whiz Kid (1983)

Play That Beat Mr. D.J. – G.L.O.B.E. & Whiz Kid (1983)
via. Discogs

ウィズ・キッドは生粋のニューヨーカーでした。悪名高い彼の高速カッティングとスクラッチによって、1981年アフリカ・バンバータ主催の「バトル・フォー・ワールド・スプレマシー」では初代DJの座を勝ち取りました。

優勝は注目を集めるきっかけになり、ウィズ・キッドはフェーズ2のヨーロッパツアーに参加。さらにトミー・ボーイとレコード契約を結び、ソウル・ソニック・フォースと活動を共にすることになります。

1983年にはファースト・ソロ・シングル「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」をリリース。(ソウル・ソニック・フォースの)MCグローブをフィーチャーしています。軽やかなカッティングやスクラッチを披露した彼のデビュー作は、25万枚以上の売り上げを記録し、初期ラップ・ミュージックの大ヒット作となりました。

関連記事:「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」:MCグローブ & ウィズ・キッド(1983年)

「プレイ・ザット・ビート」がヒットチャートを駆け上がっている頃、軍人であったウィズ・キッドの妻ベティは(ワシントン州)フォート・ルイス駐屯地に配属され、マクガイア家はタコマ市に移転することになります。1983年当時、ウィズ・キッドはヒップホップの大スターとして、私たちの身近(タコマ市、シアトル市界隈)に存在していたのです。

地元のDJたち、ギャラクシー、G・マン、ルーツ1、ルーツ2と共に、バトル・オブ・ザ・DJ(フォート・ルイス大会)をオーガナイズするなど、ウィズ・キッドはすぐに、盛んな初期北西部のシーンで活躍していきます。

さらに1983年11月に行われた、ロケット・マガジンの50号出版記念パーティではヘッドライナーを務め、その他、多数の地域イベントにも出演していきました。

ビルボード誌の表紙を飾ったセカンドシングル

Whiz Kid – He's Got The Beat (1985)

Whiz Kid – He’s Got The Beat (1985)
via. Discogs

ウィズ・キッドのトミー・ボーイ・レコード第2弾は1985年の「ヒーズ・ガット・ザ・ビート」。シアトル・シーホークスのトラックスーツを着た、彼の息子の写真がジャケットを飾っています。これは間違いなく彼が、北西部で過ごした時代を意識したものでしょう。

「ヒーズ・ガット・ザ・ビート」は、ブレイクダンスとDJカルチャーへの賛歌であり、ハイトップのスニーカーとストリート出身のBボーイを賞賛しています。

Whiz Kid – He's Got The Beat (1985)

「ヒーズ・ガット・ザ・ビート」裏ジャケット
via. Discogs

スクラッチやミキシングのトリックを多用したビートボックスを背景に、シンガー、サブリナのボーカルをフィーチャー。ボーカル・バージョンとインストゥルメンタル・バージョンの両方を収録しています。

また、この曲はビルボード誌の表紙を飾り、同誌はウィズ・キッドを「ブレイクマスター、最高のDJ」と絶賛。

Billboard,1985, February 2

ビルボード誌1985年2月2日号
via. Billboard

またスピン誌も同様に、ウィズのプレイを「邪悪なカッティング」と称賛しています。

その後ブロンクスに戻ったウィズは1987年にはDJジャジー・ジェフとバトル(というコンセプトのコンピレーション・アルバムをリリース)

Various – Ultimate Trax 2 (1987)

「DJバトル、ウィズ・キッドMIX V DJジャジー・ジェフMIX」
Various – Ultimate Trax 2 (1987)
via. Discogs

また、シアトルのラップレーベル、ナスティ・ミックスと2枚のレコード契約を結び、1989年には「カット・イット・アップ・ウィズ」を、1990年には(遺作となる)「レッツ・ゲット・イット・オン!」をリリースしています。

関連記事:知られざるパイオニア、 DJ ウィズ・キッドと 「プレイ・ザット・ビート・ミスターDJ」

タイトルとURLをコピーしました