
via. New York Post
「俺はジャマイカから来たばかりの、ただの田舎者だった。
マーフィー・プロジェクトで、アメリカナイズされて、ソウルやR&Bなどの音楽にハマっていったんだ」
1973年8月、ブロンクス。DJクール・ハークは彼が住むアパート「セジウィック通り1520番地」の娯楽室でパーティーを開きました。
すでに地元の有名人であったハークは、ソウルやファンク、R&Bのインストゥルメンタル「ブレイク」を演奏しながら、立て続けに「励ましの言葉」を叫び、パーティーを盛り上げました。
それから40年後、ヒップホップのほとんど全ては、このイベントに辿り着くことができます。
ニューヨーク・ポストの特集記事より、クール・ハークが語るヒップホップの聖地。
DJになるきっかけとなったクラブでの体験談や、ブロンクス界隈で人気DJとなりスカウトされた話など、当時とその後を語る貴重なインタビューです。
ザ・ラットホール

“Party” (Hip-Hop Evolution)
via. Netflix
1. The Rathole(ザ・ラットホール):かつてウエスト・ブロンクスにあったクラブ
住所:Third Avenue at Claremont Parkway
「『ラットホール』は、俺がよくパーティーに使用していた小さなクラブだ。
(1969年か1970年に)初めて俺が、ジェームス・ブラウンの『セックス・マシーン』を聴いた場所であり、それを聞いた人々が『どう反応するのか』を目撃した場所でもある。だから重要な意味があるんだ。
この体験がきっかけで、俺はターンテーブルの前に立つようになる。
『セックス・マシーン』のアルバムは、後に父がクリスマスに買ってくれたんだ」

James Brown – Sex Machine (1970)
via. Discogs
マーフィー・プロジェクト

Murphy House Bronx
via. Google
2. Murphy Projects(マーフィー・プロジェクト)
住所:1805 Crotona Ave. Bronx
「1968年か1969年頃、俺はジャマイカから来たばかりの、ただの田舎者だった。
このプロジェクト(低所得者団地)で、アメリカナイズされて、ソウルやR&Bなどの音楽にハマっていったんだ。
『クール・ハーク』を名乗る前の俺は、よくここで開かれたパーティーに通っていて、パーティーで演奏される音楽を聞いて、レコードを買うことに興味を持ち始めたんだ」
ブロンクス・リバー・コミュニティ・センター

Afrika Bambaataa (Left) & Kool Herc at The Bronx River Center (1983)
via. Sophie Bramly
3. NYC Housing Authority Bronx RIver Community Center(ニューヨーク・シティ・ハウジング・オーソリティ・ブロンクス・リバー・コミュニティ・センター)
住所:1619 E 174th St, Bronx
1980年代のヒップホップ界で、DJクール・ハークはパーティー・シーンの中心的存在でした。

Jam Live At The Bronx River Center (1983)
via. Sophie Bramly
この写真(右から2番目がクール・ハーク)はブロンクス・リバーセンターでのパーティーを撮影したもの。ラッパーのドナルドD(中央)と、ターンテーブルを操作するグランド・ミキサーのD.ST.の姿が写っています。
ヴァン・コートランド・パーク

Van Cortlandt Park
via. Manhattanville College
4. Van Cortlandt Park(ヴァン・コートランド・パーク)
住所:Van Cortlandt Park South and Broadway
「俺はフライングカイト(凧揚げ)が大好きで、『カイトマン』として知られている。
風が吹いているところならどこでもやるし、駐車場でもやる。
ヴァン・コートランド・パークの周りで凧が飛んでいるのを見たら、『あ、ハークだ!』とわかるだろう」

Kool Herc with his handmade kite (2019)
via. Tonje Thilesen / The New York Times
「俺は子供の頃から凧を作っていたのだが、これを見た年配の人たちは古い記憶が蘇ったという。
つまり、プランテーション(農園)で奴隷として働かされた人たちにとって『奪われたもの』のひとつが凧だった」

Kool Herc with his handmade kite (2019)
via. Tonje Thilesen / The New York Times
ザ・トワイライトゾーン

“Party” (Hip-Hop Evolution)
via. Netflix
5. The Twilight Zone(ザ・トワイライトゾーン):かつてウェスト・ブロンクスにあったクラブ
住所:Jerome Avenue at West Burnside Avenue
「セジウィック通り1520番地の娯楽室で、パーティーを開いていたことは多くの人に知られている。しかしあっという間に人気が出てしまって、あの部屋で演奏するのも限界が来ていた。
そこで他の場所を探し始めたところ、見つけたのが『トワイライトゾーン』なんだ。
ちょっと怪しい感じのクラブだったけど、店の中では楽しめたよ」

Twilight Zone, Hevalo & 1520 Sedgwick Avenue
via. You Are Here: NYC
「パーティーのフライヤーを、『ヘバロ』という近くのクラブの外で配っていたんだ。トワイライトゾーンよりもずっと大きな場所だった。
ヘバロの連中からは『チラシをやめろ、あっちへ行け』と言われ、よく追い出されたものさ」
「でもみんなはヘバロに行かなくなった。トワイライト・ゾーンでやってた俺のパーティーに、みんな来るようになったから。
数週間後にヘバロから電話がかかってきた。金曜と土曜にウチで演奏しないかと誘ってきたんだ。
断れない感じのオファーだったけどね」
ムーディーズ・レコード

Moodies Records and Tapes
via. The Daily News
6. Moodies Records(ムーディーズ・レコード)
住所:3976 White Plains Road at 225th Street
「今も週末の『居場所』を探している。修行中なのさ。だから今でも、掘り出し物を探しにレコードショップに出かけている」
「ムーディーズはヴァイナル(レコード)の品揃えでは、この辺ではベストの店のひとつ。狙っているレコードが何枚かあるんだ」

Moodies Records and Tapes
via. DNAinfo
カズンズ・レコード・ショップ

“Bronx Cousins Record shop” Magazine ad (1969)
via. Reveal Digital
7. Cousins Record shop(カズンズ・レコード・ショップ):かつてブロンクスにあったレコード店
住所:382 E. Fordham Road
「俺がレコードを買い始めた頃に、よく行っていた店は何件かある。『カズンズ』はレア・アースの『ゲット・レディ』を買った店だ。
そこの店員がレコードを引っ張り出してきてくれたんだけど、ジャケットの写真には5人の白人がいた」

Rare Earth – Get Ready (1969)
via. Discogs
「『これはソウル・グループじゃない、白人の少年グループだ』と思った。
しかしそれは俺の無知から出た言葉だ。
人々がこの曲に合わせて踊っているのを見て、俺は『音楽に肌の色は関係ない』ということに気付いたんだ」
J・ジョンソンズ・レストラン & BBQ

J Johnson’s Restaurant & BBQ
via. Johnsons BBQ 1954
8. J Johnson’s Restaurant & BBQ(J・ジョンソンズ・レストラン & BBQ)
住所:790 E. 163rd St. at Union Avenue
「ジョンソンズ・BBQは昔、ライブ演奏が終わった後に、俺とクルーが食べにいった場所で、今もまだ同じ場所にあるんだ。ソウルフードだし、チキンに合う自家製ソースもある。お勧めだよ」

Chicken Dinner with a side of yams and mac & cheese with homemade BBQ sauce
via. Johnson’s BBQ
ゴールド・スター・ジャーク・センター

Gold Star Bar Jerk Seafood Restaurant
via. Google
9. Gold Star Jerk Center(ゴールド・スター・ジャーク・センター)
住所:3768 White Plains Road at 219th Street
「俺はジャマイカ人なので、たまには米や豆など、子供の頃を思い出すようなものが無性に食べたくなる。
ゴールド・スターだと食べたいものが何でもある、クラシックなジャマイカ料理ばかりさ。
その日どうしても食べたいものは、注文すると作ってくれるし俺の好みに合わせてくれた」

Gold Star Bar Jerk Seafood Restaurant
via. Yelp
ライ・プレイランド

Rye Playland Park
Via. WAMC
10. Rye Playland(ライ・プレイランド)
住所:100 Playland Parkway, Rye, NY
「タフト高校のボートパーティーで演奏したことがある。あれは1974年、大好きなパーティーのひとつだ。
『タフト』は俺の母校。ボウリング・グリーン公園辺りの港から、ボートはライ・プレイランドに向かって出向した。
ボートが停泊しようとしたタイミングで、俺は当時の新曲、ヒューズ・コーポレーションの『ロック・ザ・ボート』をかけた。
みんなは左から右へと走り出して、ボートを揺らし始めた。
すると慌てた船長が出てきて、俺を大声で怒鳴った。
『レコードを止めろ! 今すぐ!』」

The Hues Corporation – Rock The Boat (1974)
via. Discogs
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