「チェンジ・ザ・ビート」の解説:レジェンドDJ、グレッグ・ウィルソンによる

Greg Wilson – Credit To The Edit Vol. 3 (2018)

Greg Wilson – Credit To The Edit Vol. 3 (2018)
via. Discogs

マンチェスター、1980年代初期エレクトロ・シーンのレジェンドDJ、グレッグ・ウィルソンが手がけるリエディットのコンピレーション、2018年にリリースされた「クレジット・トゥ・ジ・エディット」シリーズその第3弾には、ヒップホップの古典「チェンジ・ザ・ビート」が収録されています。

Credit To The Edit Vol. 3 : Greg Wilson

Greg Wilson – Credit To The Edit Vol. 3 (2018)

Greg Wilson – Credit To The Edit Vol. 3 (2018)
via. Discogs

「fresh」のフレーズをイントロにフィーチャーし、ビーサイドとファブ・5・フレディーの2つのバージョンを1曲に編集。CDブックレットにはグレッグ・ウィルソンによる「チェンジ・ザ・ビート」の解説が掲載されています。

さらに、その詳細な解説文は関連メディア「Electro Funk Roots」にアーカイブが掲載されています。

CREDIT TO THE EDIT VOLUME THREE: TRACK BY TRACK BY GREG WILSON (2018) : Electro Funk Roots

ファブ・5・フレディー(フレッド・ブラスウェイト)は、カルチャーのコネクターとして超一流であり、1980年代初頭のヒップホップ・ムーブメントの誕生には至る所に彼の「指紋」が残っています。アップタウン、ブロンクスから溢れ出す発明とその表現の奔流を、マンハッタン、ダウンタウンのアートシーンを動かす人たちに知らしめたのです。

関連記事:Fab Five Freddy(ファブ・ファイブ・フレディー)

彼の名前を最初に知ったのは、ブロンディの「ラプチュアー」(1980年)の歌詞でした。デビー・ハリーが「ファブ・5・フレディーは私に言った、みんな最高って*」と我々に伝えてくれたように、「ラプチュアー」は、当時まだ知られていなかったヒップホップの領域に踏み込んだ曲でした。

* “Fab 5 Freddy told me everybody’s fly”

Rapture - Blondie (UK 1981)

Rapture – Blondie (UK 1981)
via. Discogs

一方、フランスでセルロイド・レコードを立ち上げた(後にヒップホップ界では「グランドマスター・キャッシュ」とジョークで呼ばれることになる)ジャン・カラコスは楽曲制作のために1980年にニューヨークに渡り、レーベルのプロデューサーとしてマテリアルのベーシスト、ビル・ラズウェルを迎え入れました。

折衷的で最先端を行くダンスレーベル「セルロイド」は、1989年まで精力的に活動することになります。

カラコスがブラスウェイト(ファブ・5・フレディー)に出会ったのは、共通の友人であるフランス系アルジェリア人のジャーナリスト、バーナード・ゼクリが、急成長するブロンクスのヒップホップ・コミュニティを紹介してくれたことがきっかけでした。

それを受けて、1982年にはブルックリンのOAOスタジオで「チェンジ・ザ・ビート」のセッションを含む、一連のレコーディングが行われることになりました。

ゼクリの計画は、セルロイド・レーベルが新たに獲得した、ヒップホップの「登録選手」をフランスに招き、現地でこの音楽にスポットライトを当てることでした。そこでゼクリは、フランス語のラップを、ブラスウェイトのレコーディングのために自ら書き用意しました。

ブラスウェイトのラップは英語とフランス語の両方によるものでした。しかし、フランス語の発音に苦労していました。彼のフランス語のコーチとしてヘルプで参加していたのが、ゼクリの当時の妻、アン・マリー・ボイル。

フランス語が話せたので、ブラスウェイトのコーチとして手伝っていましたが、シングルには彼女のバージョンも収録されることに。12インチ盤の裏側に収録される予定だったインストゥルメンタルの代わりに、「ビーサイド」名義としてリリースすることになります。

「ビーサイド」(Beside)は、セルロイド・クルーの一員だったターンテーブルのパイオニア、グランミキサーD.STが彼女に付けたステージネーム。(初期のプレスでは、「Beeside」や「Fab 5 Betty」と表記されていました)

のちに1983年のエレクトロ・ファンクの人気曲、タイム・ゾーンの「ザ・ワイルドスタイル」でボーカルを担当するなど、さらにセルロイド・レーベルに楽曲を残し、1985年には「B-Side」としてアルバムを残しています。

Cairo Nights - B-Side (1985)

Cairo Nights – B-Side (1985)
via. celluloid

加えて、(ビル・ラズウェルのグループ)マテリアルのマネージャー、ロジャー・トリリングは「ニセの日本語」で即席のラップ披露。これは、黒澤明監督の16本の映画に出演した俳優、三船敏郎のものまねでした。

そしてヒップホップの歴史の中で、おそらく最もスクラッチされた言葉となる「ああああ、これは本当にフレッシュ」も、このトリリングによるものでした。

* “Ahhhhhh, this stuff is really fresh”

この「フレッシュ」のフレーズは、翌年(同じく)ビル・ラズウェルが大きく関わった、ハービー・ハンコックのグラミー賞受賞曲「ロックイット」で、グランドミキサーD.STがスクラッチに使用したことで有名となり、その後、エリックB.&ラキムからジャスティン・ビーバーまで、多くのアーティストに使用されることになります。

ちなみにこのフレーズは、エレクトラ・レコードの幹部であったブルース・ランドバルの口癖をものまねしたもの。気に入った音楽を聴いた時に言う決まり文句でした。トリリングはこの(何気ない)セリフをボコーダーを使って録音。ロボットのようなエッジの効いた声に仕上がりました。

結果的に「チェンジ・ザ・ビート」は史上最もサンプリングされたレコードのひとつとなりました。

Beside / Fab 5 Freddy – Change The Beat (1982)

Change The Beat – Beside / Fab 5 Freddy (1982)
via. Discogs

アメリカでは「チェンジ・ザ・ビート」のタイトルでリリース。しかしフランスではビーサイドが歌ったバージョンがA面に昇格。「Une Sale Histoire」(フランス語で「A Dirty Story」の意味)というタイトルでリリースされました。

Une Sale Histoire - Fab Five Freddy (1982)

Une Sale Histoire – Fab Five Freddy (1982)
via. Discogs

関連記事:Fab Five Freddy(ファブ・ファイブ・フレディー)

タイトルとURLをコピーしました