
via. Electronic Beats
俺にとって、クラフトワークは常に「ヨーロッパの音」だった。特に「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」はそうだ。「列車」や「旅行」というキーワードは、全宇宙に音を運ぶためのメタファーとして理解していた。
Afrika Bambaataa on Kraftwerk | Telekom Electronic Beats
ドイツの音楽メディア「Telekom Electronic Beats」に掲載されたアフリカ・バンバータのインタビューより。
「プラネット・ロック」に影響を与えたクラフトワーク「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」の話題を中心に、バンバータが提唱する「エレクトロ・ファンク」のコンセプトでもある、ジャンルや言語の境界線を越えた音楽について語っています。
海外の音楽、特に外国語の歌詞の曲に合わせて観客が踊っているのは、いつ見ても興味深い。ミリアム・マケバ、マヌ・ディバンゴ、サルサ、ファルコ、とにかくどんな曲でもさ。

「ミリアム・マケバ」
Miriam Makeba – The Voice Of Africa (1964)
via. Discogs

「マヌ・ディバンゴ」
Manu Dibango – Soul Makossa (1972)
via. Discogs

「サルサ」
The Fania All Stars – Salsa : Original Motion Picture Sound Track Recording (1976)
via. Discogs

「ファルコ」
Falco – Einzelhaft (1982)
via. Discogs
参照:Afrika Bambaataa hip hop archive, circa 1972-2016 : CUL
だから、英語版の「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」を初めて手に入れた時には、ドイツ語版も忘れずに手に入れた。クロスオーバーが好きなんだ。エレクトロ・ファンクの原点はそこにある。
実はこの曲を初めて聴いたのは、スピーカー付きの小さなレコードプレーヤーだった。気に入ってはいたが、大きな音響システムで聴いたときは本当に圧倒された。「この最高の曲をライブでプレイしなきゃな」そのことで頭の中がいっぱいになった。

「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」
Kraftwerk – Trans Europa Express (1977)
via. Discogs
初めて「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」をプレイしたのはブロンクス・リバー・センターだった。すぐにみんな理解してくれたよ。俺には最も進歩的なヒップホップの観客が常にいた。他のDJたちは曲をプレイする前に、「観客は何に夢中になっているのか」を確認していたのさ。
でも俺の客は理解していた。「バンバータはクレイジーでどんな曲でもプレイするから、だから最初の実験をやる研究所みたいな、特別な場なんだ」ってね。
当初、ブロンクス・リバー・センターに集まるパーティーの参加者のほとんどが、ブロンクスやマンハッタン北部に住む、黒人やラテン系のヤツらだった。
その後、いろいろな集まりやダウンタウンでも演奏するようになると、ニューウェイブのヤツらが集まってきて、街中の至る所から来たヤツらで完全に混ざり合った雰囲気になった。
しかし、(「ズールーネイション」や「ソウルソニックフォース」として)ロキシーに出演した俺らを見に来たのは、有名人ばかりだったよ。そうやってエレクトロ・ファンクが広まっていったんだ。まあ正確には、それがどこで始まったのかはわからないけれど。
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俺にとって、クラフトワークは常に「ヨーロッパの音」だった。特に「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」はそうだ。「列車」や「旅行」というキーワードは、全宇宙に音を運ぶためのメタファーとして理解していたし、それが彼らの影響力でもありパワーでもあった。
このバンドのバイブレーションを感じるたびに、これは何か別のタイプの音楽だ、と思った。ジェームス・ブラウンやスライ・ストーン、ジョージ・クリントンらがやっていたファンクと一緒で、これは未来の音楽であり、宇宙旅行のための音楽である、と。
もちろん、イエロー・マジック・オーケストラやゲイリー・ニューマンだけでなく、ディック・ハイマンのムーグサウンドや、ジョン・カーペンターの(映画)「ハロウィン」の音楽などもたくさん聴いていた。それらをすべてを組み合わせるとエレクトロ・ファンクになる。そしてそれが俺たちがやっていたことだ。(ラテン)フリースタイルやマイアミベース(などのジャンル)もそこから生まれた。それがテクノ・ポップの真実だ。

「イエロー・マジック・オーケストラ」
Yellow Magic Orchestra – Yellow Magic Orchestra (1979)
via. Discogs

「ゲイリー・ニューマン」
Gary Numan – Cars (1979)
via. Discogs

「ディック・ハイマンのムーグサウンド」
Dick Hyman – Moog – The Electric Eclectics Of Dick Hyman (1969)
via. Discogs

「ジョン・カーペンターのハロウィン」
John Carpenter – Halloween : Original Motion Picture Soundtrack (1983)
via. Discogs

「(ラテン)フリースタイル」
Shannon – Let The Music Play (1984)
via. Discogs

「マイアミベース」
MC ADE – Bass Rock Express (1985)
via. Discogs
「プラネット・ロック」でやりたかったことは、ヒップホップ・コミュニティの音楽的な領域を広げ、ニューウェイブの音楽の領域も広げたいと思っていたんだ。
それはいわば、宇宙にある至上のフォースの波動をチャネリングして、地球を越えて地球外の生命体にも最大効果をもたらす、というものだ。

「プラネット・ロック」
Afrika Bambaataa & Soulsonic Force – Planet Rock – The Album (1986)
via. Discogs
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クラフトワークやジェームス、スライ、ジョージがプレイしていたのはまさにそれだ。それをクラフトワークは、機械とコンピュータによってファンクをもたらしたんだ。
彼らは自分たちがファンクをやっているとは思っていなかったかもしれない。しかしクラフトワークがやっていたことは間違いなくファンクだ。
宇宙や未来を舞台とした古い映画を見ると、そこには宇宙船や光線銃のようなものであふれている。さらにマトリックスなどの新しい映画には、独自の「次」のビジョンがある。同じようにクラフトワークは、それをすべて音楽でやっているんだ。
1980年代にパリのクラブでクラフトワークと出会ったことがある。互いにリスペクトがあった。一緒に何かやろうという話になったが、そういうことはよくあることだ。残念ながら実現することはなかった。しかしコニー・プランク*のスタジオで、アフリカ・イスラムと一緒にレコーディングすることはできたんだ。
* コニー・プランク:クラフトワーク初期のプロデューサーでエンジニア。名作「アウトバーン」もコニー・プランクのスタジオから生まれています。
クラフトワークがアメリカで再解釈され、その後まったく異なるフィルターを通してドイツに戻り、さまざまなエレクトロニックやテクノのアーティストに影響を与えたことを考えると、興味深いものがある。「(ドイツ)ウェストファリアのバンバータ」を名乗るDJ、ウェストバム。彼の名前がすべてを物語っている。